【連載】
関係反応と関係フレームをどう説明するか(6)文脈とは何か?(4)言語行動と文脈(2)「水!」「ボクはウナギだ」「コンニャクは太らない」
昨日の続き。
昨日指摘した「文脈フリーの(文脈から独立した)言語行動の理論はありえない。」というのは、
- 言語行動はもともと、集団の中での協力、情報伝達、交流を深める中で発達した。「初めに言語行動ありき」ではない。
- 個体発生的に見ても、言語はまずは親子間や家族のコミュニケーションの中で習得される。
といった点からみてごく自然の発想であると思う。もちろん、それぞれの言語共同体においてはすでに確立した文法体系があり、どういう言い回しが正しく(←そういう言い回しを使うことはその共同体の中で強化される)、どういう言い回しが間違っているか(←そういう言い回しをすれば弱化される)という随伴性が維持されていることは確かだが、長期的に見れば、そのような文法体系も時代の流れとともに変化していく。どんなに精密な文法体系があっても、その内部からの論理的推論によって時代の変化を予測することはできない。変化の原因は、言葉を使う人たちの生活の中にしか見出すことはできないのである。
さて、授業では、文脈について一般的な事例に続いて、次のような日本語の表現について文脈の役割を説明した。
- 「水!」
- 「ボクはウナギだ」
- 「コンニャクは太らない」
ここで重要な点は、これらの表現はいずれも日本語として文法的に正しい文であり、何かが省略されていたり、文法的に不完全な文では決してないという点である。金谷武洋先生も論じておられるように、日本語は、名詞、形容詞、動詞一語でも文として成立する(←「ある言語」としての特徴は後述)。この点は、主語がないと動詞の形が決まられない英語とは大きく異なっている(←もちろん英語でも、命令やトランシーバーなどでの通信のやりとりでは単語一語だけが使われることはある。)
まず「水!」は、以下のような文脈でそれぞれ異なった意味をもつ。
- レストランで、「飲み物を注文されますか?それともお水にしましょうか?」と尋ねられたとき。
- 砂漠で遭難し、オアシスを発見した時に叫ぶ。
- 惑星探査中、表面に水を発見した時に叫ぶ。
- 日本語学習者が「water」は日本語で何というかと尋ねた時に答える。
ちなみに、上記の注文場面の文脈で、飲み物を選ぶ時「水!」と答えることは失礼にはあたらない。これは英語で「Water.」と答える場合も同様。しかし、レストランで着席中、通りがかった店員に大声で「水!」と叫ぶのは「おい! 水をもってこい」と命令しているようなもので失礼にあたる。これは、通りがかった店員と座っているお客とのあいだに文脈が共有されていないためと考えられる。
「ボクはウナギだ」は「ウナギ文」として知られているが、その正確な意味は文脈によって異なる。
- 友人たちと丼物屋に行った時に注文をする。
- 「吾輩は猫である」のパロディとして、「我が輩はウナギである」という小説を書く。
「コンニャクは太らない」という「コンニャク文」も、普通は、「どういう食べ物がダイエットによいか」というダイエット論議の文脈の中で正確に使われる。
このWeb日記でも時たま取り上げているように、日本語の「AはBだ」は、英語の「A is B」(A=B)という意味をさすわけでは必ずしもない。通常は、「〜は」は、主語ではなく、主題の提示。つまり、文脈の明確化と言える。
[※]「AはBだ」は「Ais B」ではない、については11月19日の日記ご参照。
不定期ながら次回に続く。
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