じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 1月24日にNHK-BSプレミアムで再放送された、青森発地域ドラマ:

進め!青函連絡船こちらに公式サイトあり。初回放送は2016年9月21日)

を録画再生で視た。学生の頃、北海道ワイド周遊券を使って何度も旅行したことのある私にとっては涙が出るほど感動的な内容であった。

 海峡ラーメンのことは2004年1月21日の日記にも書いたことがある。長距離列車に乗車中はろくなものを食べていなかったため、乗船中に暖かいラーメンが食べるのが楽しみになっていた。
 連絡船の食堂は、出港してしばらくは高額の定食類のみが提供されていて、1時間ほど経ってからようやくラーメン提供の時間となる。ドラマではウェイトレスの美佳さんが注文を聞きに来る場面があるが、私の記憶では、券売機で食券を買ってカウンターで注文するようになっていたと思う。といってもはっきり覚えているわけではない。また、ドラマで取り上げられているような絶品というほどの味ではなくて、今で言えば、高速道路のサービスエリアのスナックコーナーで提供されているような、コストを抑えたラーメンであったと記憶している。

 青函連絡船の中で、乗船した記憶があるのは、八甲田丸、松前丸(2代目)、大雪丸、摩周丸、羊蹄丸、十和田丸。このうち廃止後に見学したことがあるのは、八甲田丸(青森)、摩周丸(函館)、羊蹄丸(船の科学館展示中に見学したが、その後解体されている)の3艘であった。

 写真は、上から八甲田丸(×2、黄色)、摩周丸(青)、羊蹄丸。


2019年2月8日(金)



【連載】

関係反応と関係フレームをどう説明するか(38)「関係フレーム」とは何か?(26) いろいろな関係フレーム(21)Comparison(6)大きいと強い

 昨日までのところで、比較(Comparison)の話題を取り上げてきた。2月3日に述べたように、関係フレームでいう「比較」は、単に比べるという行動ではなく、比べた結果の量的差違に基づいて反応するという意味となっているようである。

 比較にはまず、比較軸の設定が必要である。どういう設定をするのかは有用性に依存している(比較する行動は強化されなければならない。) 普通、これは、複数の事物を同じカテゴリーにまとめ、それらを区別したり(「大きい方を取って」など)、変化を記述する(「昨日より寒い」)ことが有用であるゆえに強化される。もっとも、比較軸さえはっきりしていれば異質の事物間でも比較することはできる(「象はネズミより大きい」、「新幹線は亀より速い」など。)

 非恣意的な関係反応は物理的性質に依存して起こると言われる。物理的に大小関係がはっきりしている場合、より大きいほうを「こっちが小さい」と主張することはできない。

 もっとも、日常生活で使用される量的表現はかなりいい加減なもので、必ずしも、物理的定義が厳格に適用されているとは限らないように見える。

 例えば、台風の大きさや強さは、こちらの基準にあるように厳密に定義されているが、日常会話では、強風域がそれほど広くない台風であっても、中心気圧がきわめて低いと、「大きい台風がくるぞ」などと言われることがある。あくまで私の推測だが、「強い」というのは普通は現場で強い風が吹くという意味に限定して使われる。被害が大きくなりそうな場合は、雨の影響も考慮して「大きい台風」と呼んだほうがインパクトが強いためではないかと思われる。

 同じことは地震についても言える。地震の強さは震度、規模はマグニチュードで比較されるが、日常会話では、マグニチュードが小さくても揺れが強かった場合は、「いまの地震は大きかった」と表現される。これまた、「大きい」のほうが「強い」よりも、被害の大きさや、恐怖の度合いなどを総合的に表現的に表す形容詞としてインパクトが強いためではないかと思われる。

 日常の量的表現は、英語(例えば「great」、「big」、「large」、「strong」)と日本語では必ずしも一対一に対応しておらず、微妙なニュアンスの違いに戸惑うことがあるが、日常表現のレベルにおいては、いずれの言語においても、物理的性質を厳格に適用しているわけではなくて、むしろアナロジーやメタファーとしてコミュニケーションが交わされているようにも思える。

 このほか、TEDのトークの中でも取り上げられていたと記憶している、我々の素朴な比較判断というのは必ずしも正確とは言えない。いろいろな要因によって主観的確率がゆがめられることもあるし、何らかの偏見に引きずられることもある。

不定期ながら、次回に続く。