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「健幸ポイント(2015年度と2016年度)」、「岡山丸ごと!健幸ポイントプロジェクト」(2017年度と2018年度)の事業終了に伴い、新たに、おかやまケンコー大作戦が開始されるというが、↓に記す通りの理由で、私は不参加のつもり。 |
【小さな話題】 手段としての健康増進行動は時間のムダ 上掲の画像にもあるように、岡山では2019年度から「おかやまケンコー大作戦」なる事業が開始されるとのことである。これまで、「健幸ポイント(2015年度と2016年度)」、「岡山丸ごと!健幸ポイントプロジェクト」(2017年度と2018年度)に参加してきた私ではあるが、今回はその予定はない。 理由は、これまでの事業では、貸与された歩数計データを定期的に送信することでポイントを貰えたのに対して、今回の事業では ●歩いてポイント:タニタ「ヘルスプラネットウォーク」をダウンロードすれば、ウォーキングやランニングでもポイントがたまります となっており、スマホを所有していない私は歩数を送信することができないし、そのためだけにスマホを購入しようとも思わない。 ウォーキング以外のポイント対象としては、 ●機器測定や健康診断でポイント:指定店舗での体組成計チェック というのもあるが、2018年度までの事業は最寄りのローソンで登録できたのに対して、今回は近隣の店舗は存在せず、わざわざ足を運ぼうという気にはならない。 また、 ●イベントでポイント:カルチャークラブ、ボランティア、健康イベントへの参加 とあるが、率直に言って、カルチャークラブやボランティアや健康イベントには全く興味が無い(←特命教授として無給で授業を担当することがボランティアにあたるというなら該当するが、そんなことでポイントを貰っても意味が無い。) ここからは、一般的な話題になるが、最近、健康イベント参加や、手段としての健康増進行動は時間のムダではないかという考えを固めつつある。 かりに、余命1年であると宣告されたとする。1日の活動時間を16時間とすると、残された時間は16×365=5840時間となる。ここで、もし「毎日8時間、ダンス、ヨガ、ジム、水泳などに欠かさず参加したら、余命が100日延びる」ことが科学的に実証されていたとしたら、それらの健康イベントに参加するだろうか、と考えてみよう。 余命が100日延びたとすると、トータルの活動時間は16×(365+100)=7440時間となるが、そのうち半分は健康イベントに参加しているため、自由に活動できる時間はその半分の3720時間となってしまい、何も参加しない場合に自由に過ごせる5840時間よりも短くなってしまう。これでは、形式上は100日長く生きたとしても、かえって寿命を縮めたことにならないのだろうか。 毎日リハビリやデイサービスの送迎を受けているお年寄りをよく見かけるが、「リハビリのためのリハビリ」や、合唱やダンスをさせられるためのデイサービスであったら私は絶対に参加しないだろう。もともと、小中高を通じて、私にとって、体育の練習や音楽の合唱は自由時間の剥奪にしか過ぎなかった。そんなことを、高齢生活のなかで再び課せられるのはまっぴらごめんだ。 もちろん、高齢者の中には、リハビリでのちょっとした成果に達成感を感じる人や、集団リクレーションを生きがいにしている人もおられると思うので、それはそれでよいと思う。また、認知症が進めばどうしても鬱状態がひどくなる。そのような時には気分を明るくするためのアクティビティも有効であろうとは思うが、上記の事例のように、形式的な余命を伸ばすだけの、手段としての健康イベントは意味が無い。少なくとも私は、残された時間は、自身の終活のために使うべきだと思っている。 このところ、休園日を除いてほぼ毎日、近隣の半田山植物園に通っているが、これは明らかに植物との触れあい自体が生きがいの一部となっているためである。心肺機能を高めるだけならスポーツジムのようなところでも可能だが、少なくとも私には、健康増進の手段だけのための活動は時間のムダであるように思える。 |