じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 8月16日の夕刻、いつものように半田山植物園を訪れたところ、「台風により臨時休園」となっていた。万が一の倒木などに備えて前日8月15日が計画休園になることは聞いていたが、翌日16日まで休園になるとは思ってもみなかった。


2019年8月16日(金)



【連載】

又吉直樹のヘウレーカ!「ボクの時間を増やせませんか」(7)隠居生活の中で時間とどう向き合うか

 昨日に続いて、8月7日放送の又吉直樹のヘウレーカ!「ボクの時間を増やせませんか」の感想・コメント。

 本日はこの連載の最終回として、私自身の現時点での時間についての考えを述べておきたいと思う 。

 時間についての考えは、定年退職後に少しずつ変化してきているようだ。退職前はとにかく時間(締め切り、開始時刻など)に追われることが多かったが、退職後は時計無しでもそれほど困ることはない。とはいえ、旅行に出かけた時にはモーニングコール、荷物出し、集合などの時刻に拘束されているし、書類の提出締め切りも完全に無くなったわけではない。

 昨日も述べたが、時間を弁別刺激として行動すること自体は、「時間に縛られた生活」になるとは限らないように思う。例えば、山登りをする時には、地図や道標を見ながらルートを選択するが、だからといって地図や道標に縛られた山登りをしているわけではない。好き勝手に斜面を登ったとしたら、植生を破壊するほか、落石や崩落の危険があり、かえって登りにくくなって余計なエネルギーを費やすことになる。時間の場合においても、規則的な日課を守ることのほうが遙かに生産的である。

 ということで、「時間に縛られた生活」というのは、時間を弁別刺激とした行動ではなく、「時間(あるいは時刻)とのズレ(主として遅延)が結果を左右するような随伴性」で行動が強化されているのかどうかに関わっているように思われる。要するに、遅刻をすると不利益となったり、締め切りが近づくと作業に追われたりする機会が多ければおおいほど時間に拘束される。とはいえ、現代社会では、時間に遅れると不利益になるような随伴性から完全に逃れることはできない。本数の少ないバスや電車に乗るときはそれに間に合わせるように行動する必要がある。

 時間についての考えで、歳をとるにつれて変わってきたのは、「死ぬまでにできることは限られている」という切迫感が行動選択に影響を及ぼしてきた点である。このWeb日記や楽天版を見ていただくとわかるように、定年退職後、私はかなりの頻度で海外旅行に出かけているが、これは別段、有り余るほどのお金があって持て余し、暇つぶしに世界各地を豪遊しているわけではない。加齢によって体力や心肺機能が衰えないうちに、「死ぬまでに一度は訪れたい」場所を巡っているだけのことである。実際、テント泊中心のトレッキングはモンゴル最西端・アルタイ山脈トレッキングをもって最後と決めているし、標高4000〜5000m前後の高所ツアーも、近々参加するツアーをもって人生最後とする予定である。
 加齢により衰えるのは、体力や心肺機能ばかりではない。読解力、記憶力、思考力なども日々衰えつつあることは確かであり、「死ぬまでに読んでおきたい」と思う本や論文は、次回の旅行から戻ったら集中的に読み進めていきたいと考えている。

 もっとも、ACTの紹介本などに書かれているように、具体的なゴール(例えば日本百名山達成、読書100冊、自著完結など)を設けてしまうと、ゴールに縛られた人生になってしまう。ゴール至上主義ではなくて、あくまで価値との接触を保てるように行動を継続しつつ、常に「いま、ここ」を大切にしていくことが肝要かと思う。
 そう言えば、少し前にたまたま視たテレビ番組で、ある女優さん(どなただったか忘れてしまった)が、「早く終わらないかなあ(=時間が早く過ぎないかなあ、早く春にならないかなあ)」といった時間の経過が早まることを期待するような姿勢は間違っているというようなことを言っておられた。物理的に考えれば分かるように、早く来ないかなあ(早く終わらないかなあ)というのは、結局は、自分の寿命までの期間が短縮されることを望んでいることと変わらない。何か嫌なことが続いたとしても、その時間が速く過ぎ去るのを期待するのではなく、そういう嫌な場面であってもそれなりに時間の流れを受け流す姿勢が大切。また、飛行機乗り継ぎなどで長時間待たされている時でも、そういう時でなければできない何かに従事するほうがよい。

 元の番組の話題に戻るが、物理学における時間論はさておき、心理学がどこまで時間と生き方の問題にかかわれるのかは不明である。むしろ、哲学者の深遠な洞察のほうが参考になる可能性もある。そういえば、だいぶ前に、内山節氏の『時間についての十二章――哲学における時間の問題』を購入しているのだが、定年退職後に読もうと思いつつまだ目次しか拝見していない。これを機会に読み始めようかと思っている。