じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 岡山では6月10日の梅雨入り宣言後、毎日雨が降っている。6月12日の夕刻には写真のような真っ黒な雲が出現し、短時間で大雨が降りそうな気配となったが、結果的には合計5ミリで、雷が鳴ることは無かった。

2020年6月12日(金)



【連載】又吉直樹のヘウレーカ!「ヘウレーカ流新型コロナウイルス 正しく怖がる!」(1)ウイルスは生物か?

 6月3日に放送された又吉直樹のヘウレーカ!を録画再生で視た。

 今回(通算第79回)は、

●「ヘウレーカ流新型コロナウイルス 正しく怖がる!」

というホットな話題であり、三密を避けるという趣旨から、又吉さんと解説の仲野先生(大阪大学)は同席せず、リモートロケという形で収録された。ウイルスについては、各種雑学系番組(ヘウレーカでは2018年6月22日に関連放送あり)などを通じて程度のことは知っていたつもりだが、反面、思い込みや誤解していたこともあり、今回の放送を通じてより正確な知識を得ることができた。

 まず復習クイズとして、ウイルスの大きさが取り上げられた。人の細胞の大きさはだいたい直径が10マイクロメートル(1ミリの100分の1)、これに対して新型コロナウイルスは1ミリの1万分の1であり、人間の細胞を2メートルとするとウイルスは直径2cmのサクランボ程度の大きさに相当する。

 又吉さんからは、ウイルスがこれほどまでに小さい理由について「これはウイルスの戦略なんですか?」という質問が出たが、仲野先生の答えは「ウイルスは何も考えているわけではないので、進化の過程で偶然できてしまった」であった。ま、これはキリンの首や象の鼻の長さ、植物の蔓、あるいはさまざまな地形などが、「結果としてそうなった」というのと同じことであろう。

 さて、ウイルスは遺伝子とカプシドと呼ばれるタンパク質の殻から構成されている。ここで問題となるのは、そもそもウイルスは生物なのか?という根本的な疑問である。仲野先生によれば、生物の3条件は、
  1. 代謝すること
  2. 細胞膜で仕切られていること
  3. 自己複製能があること
であるという(但し、学者により、異なる意見もある)。でもってウイルスの場合は、
  • 1.は×。ウイルスは代謝しない。
  • 2.は△。囲まれているもの、囲まれていないものもある。
  • 3.は○。但し自分だけでは複製できない。宿主の細胞に入ることで初めて増殖できる。
 上記の特徴だけからは、コンピュータウイルスも、単に「生物学的なウイルスに似ている」という比喩表現ではなく、ウイルスの特徴を満たした本物のウイルスであると言えないこともない。なお、リンク先では、コンピュータウイルスは
「自分自身の複写、又は自分自身を変更した複写を他のプログラムに組み込むことによって繁殖し、感染したプログラムを起動すると実行されるプログラム。」
と定義されているようだ【JIS X0008「情報処理用語−セキュリティ」における定義】。

 ここでまた又吉さんから「単体のウイルスは短命なんですか?すぐ死ぬんですか?」という質問が出たが、そもそもウイルスは生きていないから死ぬことも無い。但し、細胞膜のあるウイルスの場合は細胞膜が壊れると感染性が無くなる(宿主の細胞に入り込むことができなくなり自己複製能力が無くなる)ので、この時点で死んだと見なすことはできるようだ。いずれにせよ、生きているか死んでいるかという区分よりも、宿主にとって脅威を及ぼす状態が「生きている」、影響が無くなれば「死んでいる」と考えたほうが実用的となる。

 以前、別の番組で聞いたことがある(と記憶している)が、そもそも、生物とウイルスは、どちらが先に地球上に出現したのか?という議論があるようだ。素朴には、ウイルスは宿主の助けを借りないと複製できないので、ウイルスが先に存在したとは考えにくい。しかし細胞核ウイルス起源説のように、真核生物は次の三つの祖先を持ち、その1つに細胞核の元となったウイルスを含めるという考え方もあるようだ。また、これはあくまで私の勝手な想像だが、地球上の生物は、隕石などを通じて別の惑星からやってきたウイルスの力を借りて進化したという可能性もあるように思われる。【2018年9月22日の日記に関連記事あり。】

 次回に続く。