【連載】こころの時代「敵対と共生のはざまで」(3)「共生」という発想
昨日に続いて、6月13日に放送された、NHKこころの時代、
「敵対と共生のはざまで」
についての感想と考察。今回が最終回。
番組の残りの15分前後からは、ウイルス世界についての見方が「病気の原因としてのウイルス」という限られた側面から、「善玉ウイルス」、「病気を離れたウイルスをもっと詳しく見る」というような転換があったという話題が取り上げられた。
もともと、ウイルスの自然宿主では、ウイルスは共存をはかっている。「キラーウイルス」というような悪玉ウイルスの側面は人間がつくりだした現代社会のみで起きている。さらに、善玉とか悪玉といった区別をも超えてウイルスが存在するそもそもの意味を問い直すようになっていった。
この当たりの部分は6月13日朝5時台の放送でも一度視聴しており、6月13日の日記でも要約・引用させていただいたところである。再掲すると以下のようになる。
- ウイルスの立場から言えば、ウイルスは自分の子孫を残していくために適した場所で増えているだけで、ウイルス自体に善玉、悪玉があるわけではない。ヒメバチとイモムシとポリドナウイルスの3者の関係を例に挙げるならば、ポリドナウイルスはヒメバチにとっては善玉であり寄生の「共犯者」、イモムシにとっては悪玉となる。
- 生命の1年歴でみると、ウイルスが出現したのは5月の初め、人間が出現したのは12月31日の最後の数秒。ウイルスvs人類と言ったところでウイルスにとって人間は取るに足らない存在。いかにウイルスと共生していくのかと考えるべき。
- コロナウイルスは長い間、酵母という宿主と共にあったが、それを人間に来るように仕向けたのは人間。ウイルスは勝つとか負けるというような相手ではなく、全然違う存在。
- 我々の遺伝子の4割くらいはウイルスと一体化したもの。腸内細菌100兆個、その細菌1つ1つに10以上のウイルスが居るとすると、我々の体内には1000兆個のウイルスが存在。そうなると、ウイルスと人との区別はつけがたい。
- ウイルスといっても病気を起こすウイルスだけじゃない。まさに我々はウイルスと一緒に生きている。
上掲の中で、ヒメバチとポリドナウイルスの話があるが、これはもともとダーウィンが1860年、友人に宛てた手紙の中で、「慈悲深く万能の神が生きたイモムシの身体の中身を餌にさせることをはっきり意図してヒメバチを創造されたことに納得できません」と記したことに由来しているようだ。要するに、ヒメバチの行動は、神様が意図してそうさせたのではなく、進化の結果としてそうなったという意味であろう。ダーウインがこれを記した時点ではウイルスの存在は知られていなかったが、その後、山内先生によってヒメバチの卵巣に寄生するポリドナウイルスの役割が明らかにされた。
- 本来、ヒメバチの卵がイモムシの体内に入るとイモムシの血球がハチの卵を取り囲んで殺すはずであるが、ポリドナウイルスに含まれる免疫抑制遺伝子の影響で卵を殺すのは阻止される。
- ポリドナウイルスは、ハチの幼虫の栄養となる糖をイモムシに生産させる。
- ポリドナウイルスは、イモムシの内分泌系を乱して、イモムシが蝶や蛾に変態するのを阻止する。
こうして孵化したヒメバチの幼虫は、まずイモムシのまず脂肪体、次にイモムシが生きるのに重要ではない器官を餌にして、最後のにイモムシに致命的となる器官を食べて体外に飛び出す。こうしてみると、ポリドナウイルスは、イモムシにとっては恐ろしい病原体となるが、ヒメバチにとっては「頼もしい共犯者」ということになる。
こうした事例をふまえて、山内先生は、「20世紀はウイルス根絶をめざした時代」、これに対して21世紀は「共生の時代」という見方を提唱しておられた。
現実問題として、新型コロナウイルスとどうやって共生できるのかは分からないが、ウイルス自体が必ずしも悪玉ではないという点はよく理解できた。実際、人間の体内でウイルスが殖えてもそれだけで病気になるわけではない。人間の免疫系がそれを追い出そうとして過剰に攻撃することが結果的に重症化をもたらすのである。
人種差別、移民問題、宗教的対立、LGBTなどもそうだと思うが、一般論として、人間世界で対立、抗争、戦争といった不幸な事態が起こる原因は、他者を排斥しようとする免疫系の発想と似通ったところがあるようにも思える。対立の解消は、暫定的には力の均衡(=ゲーム理論)でも可能だが、本質的には「多様性」を受け入れる「共生」を確立しない限り持続しないだろう。
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