じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 岡大構内の珊瑚樹が赤く色づいてきた。このあとさらに色合いを増すが、私自身は、今の段階の色が好み。

2020年7月27日(月)



【小さな話題】歌詞が先か、メロディーが先か?/又吉直樹のヘウレーカ!:「今、僕たちには歌がいる!」

 7月25日(土)の朝、NHK映像ファイル「あの人に会いたい」で、作曲家の大中恩さん(1924-2018)を取り上げていた。

 大中さんは、「犬のおまわりさん」、「サッちゃん」、「おなかのへるうた」などの童謡の作曲者として知られるほか、合唱作品、器楽曲など3000を超える楽曲の創作ででも知られている。ウィキペディアのリンク先では、
作風は日本語の美しい語感を生かしたメロディとリズム、その詩に基づくイメージに即した和声を用い、「童謡だからと安易な曲作りはしない」という厳しい姿勢が貫かれている。
 興味深いのは、大中さんの曲というのは、まず美しい詩(=作詞)があって、そこからメロディーが創作されるという点である。番組の中からいくつかピックアップさせていただくと、
  • いい言葉が見つかったときは最高にやっぱり音を動かせるからうれしいね。
  • 僕はやっぱりオギャアと言った声がね まず音そのものであってね 何かそこから生まれてくる自然に作られるメロディーというようなものがやはりとても大事
  • 言葉にとてもひかれて書くという点では歌を作る人間としては 詞を理解するというのかな 詞にほれ込まなきゃ歌は書けないと思う。
  • 言葉を美しく響かせたい。大中さんは良い詞を読むとすぐにメロディーが浮かぶという。
  • やっぱり言葉がある音楽だから絶対歌詞が伝わらないといけないですね。
  • 歌というのはやはり訴えることだと思うからね。その言葉その音楽に感動して歌っている人の力というのはすごいものを生み出す。
というような内容であった【あくまで長谷川の聞き取りに基づく】。

 私が理解した限りでは、大中恩さんの作曲姿勢は、まず言葉が先にあり、そこからメロディーが生まれてくるということであった。このことで、おやっ?と思ったのは、少し前に視聴した、

又吉直樹のヘウレーカ!:#81 「今、僕たちには歌がいる!」 (2020年6月24日放送)

で、「メロディーが先に生まれ、それにぴったりの歌詞がつけられる」というような、真逆の話との関係であった。この番組に登場された岡ノ谷先生や、ハンバート ハンバートさんは、
  • (岡ノ谷先生)歌詞がない歌が言葉の元だったんじゃないかって考えている
  • (良成さん)【曲を作る時って歌詞が先かメロディーが先か、という問に対して】メロディーが100%先。
  • (遊穂さん)【良成さんが言うには】曲の旋律ができた時点で、その旋律自体が物語を持っていてそれを日本語に宛てていていく作業で歌詞ができる。
  • (岡ノ谷先生)歌の中に元々言葉に将来なるようなタネが仕込まれていた。それが何世代か伝わっていくうちに、いろんな単語が出てきた。
 番組の終わりのほうでは、
  • 【いま現在】言葉があるのになぜ歌う?
  • (又吉さん)言葉が持っている情報よりも、音楽そのものが持っている情報のほうが雄弁
  • (岡ノ谷先生)歌詞っていうのはある程度状況を限定しちゃうんじゃないか。明確に伝わらない部分はメロディーに任せなければならない。歌詞とメロディーが重なった時に、意味と情動の二重構造となり一気に威力が高まる。
とまとめられ、ハンバート ハンバートさんの歌詞つきで「ぼくのお日さま」が歌われた

 岡ノ谷先生はさらに、
  • 私たちは、歌があってそれに歌詞を乗っけていった、というのが正しい。
  • いま、歌詞というか言葉だけが一人歩きしちゃっているのは寂しい。
  • 他の人が歌っているのを聴いて楽しいのは「代理報酬」
という持論を述べておられた。

 言葉と鳥のさえずりの関係についてはこちらの連載の中でも何度か言及させていただいているので【例えば2019年3月31日】、今回は取り上げないが、歌詞が先かメロディーが先かという話はなかなか興味深いところがある。

 おそらく作曲者の創作行動としては、大中恩さんのような「先に詞があってメロディーが浮かぶ」場合もあるし、ハンバートさんのように「メロディーが先に生まれてそれに適切な言葉をあてていく」という場合もあるかと思う。

 いっぽう、作曲された歌を一般人が歌う時には、殆どの場合は、メロディーが主、それに歌詞がくっついてくるというように私には思われる。理由は以下の通り。
  • 歌詞の無いメロディーも同じように好まれる。
  • メロディーは強く記憶に残るが歌詞は忘れたり取り違えて記憶してしまうことがある。
  • 替え歌が好まれることがある。日本の唱歌の中にも西洋の歌の替え歌が少なくない。
  • 国の政体が変わった時など、メロディーはそのまま存続させ、歌詞だけを変えて歌われる国歌がある。