じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 12月20日(日)、岡山で山陽女子ロードレースが開催される。ウォーキングを兼ねて、ほぼ毎年、ゴールとなるシティライトスタジアムまで観戦に行っていたが【昨年の記録はこちら、一昨年はこちら】、今年は新型コロナの影響で、スタジアムでの観戦は禁止、また沿道での応援も自粛が求められている。
 同じ日には京都で全国高校駅伝が開催されるが、こちらもまた、西京極運動公園内での観戦は禁止、沿道での応援は自粛を呼びかけられている。
 いずれもテレビで生中継が予定されているが、沿道での応援自粛がどの程度守られているのか気になるところだ。


2020年12月19日(土)




【連載】「刺激、操作、機能、条件、要因、文脈」をどう区別するか?(38)杉山尚子先生の講演(3)ネコの問題箱の実験

 昨日に続いて

●杉山尚子先生(星槎大学)×武藤崇(同志社大学)による対談:「随伴性ダイアグラム」をめぐる冒険

についての感想と考察。本日は、

●手続段階の用語体系と理論段階の用語体系を区別する必要があるのではないか。

という点についてもう少し補足させていただく。

 杉山先生は「ネコがペダルを踏むと問題箱のドアが開く」というソーンダイクの実験について、

●(直前)ドアがあかない→(行動)ネコがペダルを踏む→(直後)ドアがあく

というダイアグラムと、

●(直前)閉じ込められている→(行動)ネコがペダルを踏む→(直後)閉じ込められていない

というダイアグラムの2つの書き方があると紹介された。この事例は、出現(提示型)と消失(除去型)を過剰に区別するという、「直前→行動→直後」のダイアグラムの欠点として紹介されたものであり、また、前者の「ドアがあく」というのは「ドアが開いた状態」という好子が出現したことになるので、「好子出現の随伴性」となる。いっぽう、後者は「閉じ込められている状態」が「閉じ込められていない」というように消失するので「嫌子消失の随伴性」というように分類される、というように初学者の間で混乱が生じるという例であった。

 では、どちらが妥当なのか?という話になるが、私が主張してきた「手続段階」と「理論段階(制御変数が確定した段階)の区別という観点から言えば、

●(直前)ドアがあかない→(行動)ネコがペダルを踏む→(直後)ドアがあく

というのはあくまで、手続段階の用語体系、つまり実験者がネコに対してとった実験手続の記述ということになる。

いっぽう、

●(直前)閉じ込められている→(行動)ネコがペダルを踏む→(直後)閉じ込められていない

というのは、行為主体であるネコの側からみた理論段階の記述である。但し、「閉じ込められている」と「閉じ込められていない」を区別するには、ネコの行動をちゃんと観察する必要がある。問題箱の中にいるネコが外に出たがっていて、ドアが開いた瞬間に外に飛び出すというのであれば「閉じ込められている=嫌子」であると示唆され、ペダルを押す行動は嫌子消失の随伴性によって強化されていると考えられるだろう。もっとも、ソーンダイクの実験では「空腹のネコを問題箱に閉じ込める。猫は餌をとろうとするが、とることはできない。」という設定になっていたということなので【←オリジナルの研究が記された文献が手元にないので未確認】、もしそうであるならば、「ペダルを踏むと餌が食べられる」という好子出現の随伴性も同時に働いていた可能性がある。

 なお、もっと単純な、

●(直前)餌無し→(行動)ハトがキーをつつく→(直後)餌あり

というのも、厳密には、手続段階の用語体系と言える。ハトが満腹状態で、「餌あり」になってもそれを食べなければ、餌が無い状態と変わらない。理論段階の用語体系としては、

●(直前)餌を食べられない→(行動)ハトがキーをつつく→(直後)餌を食べる

とすべきであり、ハトのキーつつきを強化しているのは、餌の出現自体ではなく、ハト自身が餌を食べたという行動に依存しているように思われる。【但し、便宜上、「餌が好子として機能している」と記述することは問題ない。】

 ま、杉山先生も言っておられたが、随伴性ダイアグラムというのはあくまで分析のツールである。何か問題行動が起こっていたり、逆に望ましい行動がうまく継続しないような場合に、当該の行動の直前と直後の状態を図解してみる、そうすると、問題行動を強化している隠れた好子が発見できるかもしれないし、望ましい行動に対して有効な好子が伴っていなかったことなどが明らかにできる。初学者や一般の人でもダイアグラムを活用することで日常生活行動の改善がはかれる、というツールとして役に立つのであって、それをタコ足型に改良したほうがいいか、盆栽型がいいかといった議論もおそらく、ツールとしての正確さ、広さ、深さなどに依存して決まってくるものと思われる。

 不定期ながら次回に続く。