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日曜のウォーキング中、文法経講義棟の入口の「喫煙所」と書かれた張り紙が目にとまった。岡大は以前から敷地内全面禁煙を徹底しており、いかなる例外も認めていないはずなのでおかしいなあと思って近づいてみたら、「喫煙所」の文字の下に、少し薄い字で「ありません」と手書きされていた。 なぜ「全面禁煙」ではなく「喫煙所ありません」と書かれていたのかは不明だが、喫煙者に対しては、どちらのほうがアピール効果が高いのだろうか。なお、この張り紙は、機械保全技能検定という外部試験実施者が掲示したようである。 |
【連載】「刺激、操作、機能、条件、要因、文脈」をどう区別するか?(39)杉山尚子先生の講演(4)微視的な視点と巨視的な視点 昨日に続いて ●杉山尚子先生(星槎大学)×武藤崇(同志社大学)による対談:「随伴性ダイアグラム」をめぐる冒険 についての感想と考察。本日は、12月18日に挙げた、 ●2.微視的な「反応→強化」と、巨視的な「行動→強化」を区別する必要があるのではないか。 という点について考察する。 ここでいう微視的な「反応→強化」というのは、 ●(直前)餌無し→(反応)キーをつつく→(直後)餌あり というように、個々の反応によって、直前と直後の環境がどう変化するのかを記述したものである。強化の遅延の効果を調べる実験も、微視的なレベルでの影響を検討したものと言えるだろう。 いっぽう、 ●(直前)獲物無し→(行動)狩りをする→(直後)獲物あり というのは、狩りという行動が種々の技能を組み合わせ、一定時間を要する行動であることからみてかなり巨視的なレベルと言えるだろう。さらに、 ●(直前)作物なし→(行動)農作業を行う→(直後)作物の収穫あり となれば、種まきから収穫までは半年近くを要することになる。こうなってくると、「直前」とか「直後」というのは当てはまらなくなるが、人間の行動においては、こういう巨視的なレベルでも、「行動することで、環境に変化を与えた」ことで行動が強化されていることは間違い無い【もちろん、その多くはルール支配行動として実践されているが】。 農作業とか、受験勉強というような長期的なスパンの随伴性をどうとらえるのかという問題は別としても、例えば、さまざまな強化スケジュールのもとで形成される独特の行動パターンを記述するにあたっては、微視的な「(直前)餌無し→(反応)キーをつつく→(直後)餌あり」だけで法則性を記述してもあまり意味は無いように思う。というか、反応を累積記録のパターンとしてとらえること自体、すでに、巨視的な視点に立っていると言えるように思う。 このほか、「カラオケで歌う」とか「ピアノの演奏をする」といった行動は、行動と同時に耳に入ってくる音声刺激(自分の歌、ピアノのメロディ)によって強化されるが、こういう場合には、微視的な反応レベル(ピアノで言えば、鍵盤の1つを叩くと音が出る)では、何がどう強化されているのかは説明できない。「山岳道路をドライブして絶景を楽しむ」という場合も同様であり、車の運転操作を構成する個々の反応が絶景によって強化されているわけではなく、ドライブという行動自体が、ドライブ中に目に入ってくる絶景によって強化されていると考えるべきである。 上記のカラオケ、ピアノ、ドライブの例では、「直前」とか「直後」という時系列上の関係はあまり意味をなさないが、1つだけ言えるのは、 ●行動しなければ何も起こらない という点である。声を出さなければ音声は流れないし、鍵盤を叩かなければメロディーは流れないし、車で出かけなければ絶景を目にすることはない。また、
不定期ながら次回に続く。 |