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「接写で楽しむ雑草の花」。今回はノヂシャ。岡大構内の花壇や芝地に多数繁殖している。接写すると、雄しべ3本と雌しべのあることが分かるが、雄しべのついている花と雌しべだけの花に分かれているようにも見える。 |
【連載】又吉直樹のヘウレーカ!#106「“なぜ”を愛していいですか?」その1 3月24日に初回放送された、「又吉直樹のヘウレーカ!」: #106最終回シリーズ この”なぜ”は止まらない!「“なぜ”を愛していいですか?」 の感想と考察。 タイトルが示すように、この#106がヘウレーカ!の最終回となった。放送リストが暫定削除されている「チコちゃんに叱られる!」と異なり、ヘウレーカ!のほうは、2018年4月4日初回放送から今回の最終回までの106回分までのタイトルと解説者のお名前がしっかりと記録されており、このシリーズでどういう「なぜ?」が取り上げられたのか、私が視聴した回がどのくらいの比率であったのかをチェックする上で大いに役立っている。ちなみに、この番組は何度か再放送されており、私自身は、95%以上は視聴した記憶がある。といっても、Web日記の備忘録で取り上げた回はそのうちのごく一部に過ぎない。ま、加齢とともに物忘れがひどくなっていくことは自然の流れであり、番組内容を忘れてしまうことがあっても、それはそれで致し方ないとは思う。 さて最終回では、番組最多となる塚谷裕一先生(東京大学大学院、葉の発生・分子遺伝学が専門、文学への造詣も深い)が出演された。塚谷先生は、レギュラー放送の1回目「なぜ植物はスキマに生えるのか」と2回目「なぜお祝いに“胡蝶蘭(こちょうらん)”を贈るのか?」から登場されており、#105で登場された仲野徹先生とともに、この番組の方向づけに大きく貢献された。 この番組は、単なる教養番組ではなく、又吉直樹の冠番組であるゆえ、又吉さん御自身の興味や、解説者との相性が大きく影響してくる。解説者がいくら熱く語っても、又吉さん自身がつまらなそうな顔をしていると視聴する側もしらけてしまう。そういう面では、塚谷先生は、又吉さんの興味をうまく引き出し、絶妙な対話を構成していた。 最終回ではまず、「科学的な知識がなく花粉を見たら昔の人は何と思うか?」という話題が取り上げられた。又吉さんが「皮の一部、フケのようなもの、花の要らなくなったもの」と答えたように、じっさい17世紀、フランス植物学の父、ジョゼフ・ピットン・ド・ツルヌフォールは、「根が土から栄養分を吸ってきれいなものに精錬し、抽出した良いものを実らせ種を作る。花粉はその途中でできた残渣物であり、それを粉として排出している」と解釈していたという。 なおウィキペディアには、 受粉に関する科学的研究はSprengelによる『花の構造と受精』(1793年)から始まったとされる。19世紀にはダーウィンによる『蘭の受精』(1862年)・『受精の研究』(1876年)が刊行され、この分野の発展に刺激を与えた。と記されており、花粉の役割が明らかになったのは、18世紀の終わりから19世紀の頃であったようだ。 花粉というと、「なぜ、一部の花粉は花粉症を引き起こすのか?」という別の疑問も浮かんでくるが、これについてはこちらに解説がある。 番組では続いて、カーネーションの花の絞りの色彩や、黄色と紫色の実がまだらになっているトウモロコシが提示された。トウモロコシのまだら模様が生じる原因については、バーバラ・マクリントックが長年にわたり研究し、可動遺伝因子の説を唱えたが、シンポジウムの聴衆にはその意義が理解されなかったという。これは、正しい説であっても、あまりにも突飛な仮説が含まれていると、その時点では受け入れられにくいこと、「科学では、まず、ざっくり丸めること、割り切ること、大枠がはっきりしたあとで説明つかない別のことに注意していく、という科学研究の順番が必要」という事例として説明された。 なお番組では、バーバラ・マクリントックがアメリカ遺伝子学会の元会長であり権威者だったにもかかわらず、可動遺伝子の仮説はあまりにも発想が突飛で、他の研究者たちの積み重ねがちゃぶ台返しになってしまう恐れもあったため受け入れられなかった、というように解説されていたが、このあたりの経緯については、イマイチ分からないところがあった。ウィキペディアで調べてみると、
次回に続く。 |