Copyright(C)長谷川芳典 |
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8月31日の日記で、文法経講義棟前の公衆電話ボックスから電話機が撤去されたという話題を取り上げたが【写真右】、9月8日にはついに電話ボックス自体の撤去工事が行われていた【写真左】。スマホ常用で公衆電話に縁の無い学生たちは、この景色の変化に気づくだろうか? ちなみに、最近では、公衆電話を一度も使ったことの無い世代が居るらしい。公衆電話の使い方として、ご丁寧にも という手順が紹介されていたが、確かに、一度も使ったことの無い人たちには結構複雑な操作であるのかもしれない。 |
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【小さな話題】『プロジェクトX4Kリストア版』7月〜8月放送分 その8「チェルノブイリ」 9月5日に続いて、表記の話題。本日は、 ●【8月24日放送】#113『チェルノブイリの傷 奇跡のメス』 について。 この回は、1986年4月26日に起こったチェルノブイリ原発事故のあと、広島原爆の500倍にも及ぶ大量の放射性物質が降り注いだベラルーシで、単身、子どもたちの甲状腺癌の治療にあたった日本人医師の活躍が紹介された。 チェルノブイリで原発事故が起こったことはもちろん知っていたが、私自身はちょうど長崎に引っ越した直後で多忙でもり、事故の詳細は殆ど知らなかった。チェルノブイリはウクライナの国内にあったが、放射性物質の大半は風に乗って隣国のベラルーシに運ばれた。そして、その放射性物質により、子どもたちに甲状腺癌が多発した。当時のベラルーシの手術は旧式であり、首に大きな手術跡が残ったという。 番組では、信州大学医学部第二外科で先進的な手術に挑んでいた菅谷昭(すげのやあきら)が、1996年1月、助教授の職を辞して単身ベラルーシに乗り込み、小さなアパートに住みながら医療活動にあたった様子が紹介された。ベラルーシでは当初は助手として手術に立ち会っていたが、その後、執刀を任され、現地の若い医師たちにその先進的な術式が伝授、訪問健診による術後管理にも尽くした。 現地の医師たちが自立的に対応できるようになった2001年、菅谷は日本に帰国。この番組が放送、された2003年5月13日の時点では、「地元長野県で衛生部に働いている。そのかたわら、若い医学生とともに年に一度健診活動を続けている」と伝えられていた。 では、今はどうされているのかと思ってウィキペディアで検索したところ、なっなんと、
菅谷さんのさらなるご活躍に期待するいっぽう、独裁政権下のベラルーシの今後の行方が気になるところでもある。 |