じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 9月11日に続いて、岡大構内の公衆電話ボックスの話題。14日の午後に岡大構内を歩いたところ、新たに以下の点が確認できた。
  • 岡大東門バス停近くの電話ボックスは健在。【写真上】
  • 津島東キャンパスの電話ボックスは撤去されていた。【写真中】
  • 農学部南東にある電話ボックスは健在。【写真下】
ということで、岡大の敷地内の電話ボックスは、工学部前、農学部南東、岡大東門バス停近く、の3箇所が残っていることが確認できた。

2021年9月15日(水)



【小さな話題】Q〜未来のための対話 教えて!養老先生×落合先生(3)自分と違う人とうまく付き合っていくためには?

 昨日に続いて、NHK Eテレで8月23日19時25分〜19時55分に放送された、

●「Q〜子どものための哲学」に寄せられた「未来」についての疑問を先生たちにぶつける番組

についての感想と考察。

 子どもたちから寄せられた3番目の疑問は、
のぞみ(11歳)の疑問:私の未来の夢は、障がいとか人種とか関係なくみんな仲良く暮らすことです。みんな違ってみんないいです。でも本当にバラバラの個性だったり生き方の違う人たちがちゃんとお互いを理解し合って支えあっていけるのかが不安です。自分とは違う人たちとうまく付き合っていくためにはどうしたらいいですか?
というものであった。この質問は、

●自分と違う人とうまく付き合っていくためにはどうしたらいいの?

というように要約された。

 この質問に対して落合先生は、
これが分かれば人類は戦争をしなさそう。人を許すことと、人を理解すること、適度に忘れることはどれもなかなか難しい。戦争をすると戦争をしたことをずっと覚えているし、死んだ人のことを忘れられないし、人を許すのはなかなか難しいし...


 いっぽう養老先生は、
これは結局、イヤなものとか嫌いなものとどう折り合いをつけるかという話。僕は虫は好きだけれど蜘蛛は大嫌い。どっかで折り合いをつける。でも最近は蜘蛛がいても平気になりました。やっぱり慣らすこと。相手が人でも同じ。そういう人がいるっていうのは、いるんだからしょうがない。
と回答された。「虫たちの世界では、折り合いをつけながら暮らしているのか?」という質問に対しては、
どっちでも言えるが、しょっちゅう喧嘩しているヤツもいる。限られた資源の中で食うか食われるかのギリギリの生活をしている。...人はそういうギリギリの状況を作らないように、世の中を豊かにしてきた。資源をできるだけ自然から獲得してやってきたから。
と回答された。このご意見については、
虫は生きるのに必死で余裕がないから争いが起きる。いっぽう、人間は生活を豊かにすることで争いを減らしてきた。
と要約された。

 これらの議論に基づいて落合先生は、
豊かさがあれば他人を許すことができるし、豊かさがあれば違うひとといてもお互いに無干渉で居られる。豊かじゃないと、イライラしたり怒ったり許せなくなったりするかもしれない。その豊かさっていうのは、お金にも限らないし、時間にも限らないし、健康だとも言えない、若い若くないじゃないかもしれないし、知識があるかないか、友だちがあるかないかでもない。でも何らかの豊かさがある状態にしておくとそれは意外と他人に対して寛容になれる。他人に対して不寛容な世界はたいてい豊かじゃない。
とコメントされた。養老先生はそれに続けて、
自給自足の自足の状態、つまり、自分が満足する状況をいつも探すようにする。そういう状態にある人って、他の人の文句は言わない。僕はそれを猫から学んだ。猫は、ひなたぼっこして昼寝している時は本当に幸せそう。

 落合先生はさらに、
豊かでいられるっていうことを考えた時に、豊かさの裏にあるのは楽しめることとか、自分が楽しいと思うことをちゃんと見つけてくることだ。突然新しいところに言っても、新たに楽しいことを見つけてくる能力が、変化の激しいときには求められているような気がする。
と付け加えた。以上から、当初の質問に対する「先生たちのこたえ」は、

自分が楽しくいられれば、余裕があって周りにも優しくなれる

というように要約された。




 ここからは私の考えになるが、イヤな人とか嫌いな人とどう折り合いをつけるか、という問題については、まず、なぜその人をイヤだと思うのか、嫌いだと感じるのかを冷静に考えてみると、意外とイヤでないという場合もある。例えば、宗教とか政治とかで異なる考えを持つ人はイヤな人、嫌いな人になりやすいが、感情を分離してよく話を聞いてみると、意外と共通点が見出せることもある。なので、まずは、相手の考え方がどういう前提に基づいているのかを理解する必要がある。

 次に、他の人に共感できるかどうかは状況(文脈や場)に大きく異なる点に留意する必要がある。例えば、災害ボランティア参加、宗教行事への参加、政党の集会、甲子園球場でのタイガース応援などの場では、人々はみな同じ価値観を共有するようになり連帯感が生まれやすい。しかし、そういう場から離れた瞬間、人々は皆バラバラになっていく。いつでもどこでも自分と違う人がいるのではなくて、人々はある状況では連帯し、別の状況では対立し、またさらに別の状況では相互不干渉で無関心になる。なので、他の人と一緒に過ごすことが楽しいと思う人は、災害ボランティアでもタイガース応援でもいいから、とにかく一体感が得られる場に身を置く機会を増やすべきであろう。いっぽう、養老先生、落合先生、そして私自身もまさにそうだが、他の人たちとはできるだけ距離を置いて自分の独自の世界に浸りたいと思う人は、養老先生の言われる「自足」の生活を目ざすべきであろう。これは職業選択でも同じ。

 番組の内容に戻るが、「自分が楽しくいられれば、余裕があって周りにも優しくなれる」という考え方については私はあまり賛同できない。貧乏でも、病気や障がいがあっても、高齢であっても、知識が無くても、友だちが一人も居なくても、それなりに寛容にはなれる。何をもって豊かとするのかにもよるが、豊かか豊かでないかということと、寛容か不寛容かということは別の問題であるように思う。

 あと、「自給自足」の状態というのはそう簡単に実現できるものではない。経済的にゆとりがあって、とりあえず自立できる程度の健康状態にあるうちは何とかなるだろうが、世の中そんなに楽ではない。他者の介護を受ける身の上になると、介護者との衝突もあるだろうし、施設に入れられれば、他の入居者とうまく折り合いをつけていく必要に迫られる。それぞれの段階での最善の道を探すほかはあるまい。

 次回に続く。