Copyright(C)長谷川芳典 |
|
文法経講義棟前の電話ボックス撤去工事が木曜日(9/09)のうちに終了し、金曜日(9/10)にはアスファルトで舗装されていた。下段の画像はNTT西日本の公式サイトにあった2021年7月29日現在の公衆電話設置場所マップ。今回撤去されたのは赤い×印。青い○印と×印は8月31日に確認した場所。東西通り・一般教育棟北と、農学部の電話ボックスについては未確認。このほか、法界院駅前、津島郵便局前、こどもの森入口にも電話ボックスが設置されているようだが、撤去対象になっているのかどうかは未確認。 |
【小さな話題】『プロジェクトX4Kリストア版』7月〜8月放送分 その10「デジタルカメラ」(2) 昨日に続いて、 ●【8月31日放送】#90『男たちの復活戦 デジタルカメラに賭ける』(初回放送は2002年7月02日) の話題。 本日は、番組内容からは脇道に逸れるが、私自身のデジカメ利用の変遷から、国産デジカメの盛衰について考えてみることにしたい。 私がデジカメを購入したのは1997年12月25日であり、このWeb日記にもその記載があった。昨日も述べたように、1995年にはカシオのデジカメがすでに大ヒットしていたが、私自身はソニーのデジタルマビカを購入した。 当時のデジカメで撮影できる写真は、標準サイズ640×480ピクセルとなっていて、画質はすこぶる悪いが、フィルムカメラに比べると、
1999年以降は、海外のトレッキングや辺境旅行に出かけるようになったが、写真撮影はすべてデジカメで行った。その一番の理由は、写真代の節約にある。1983年までに出かけた旅行では、1回あたり3万円〜5万円もの写真代がかかっていて大きな負担になっていた。これが、何枚撮ってもタダというのは大きな魅力であった。 もっとも、上に述べた通り、当時のデジカメの標準サイズは640×480ピクセルで、画質はすこぶる悪かった。2000年8月パミール横断旅行では、絶景と思われる写真のみ高画質サイズ1024×768で撮影したが、それでもまだまだ見劣りしている。 どうにかこうにか、フィルム写真並みの画質となったのは、2004年頃から、2048×1536ピクセルで撮影するようになってから以降のことであった。 画質と相反する問題として保存媒体の容量の制限があった。最初に購入したデジタルマビカは、1.44MBの3.5インチフロッピーディスクに画像を保存していたが、これは現在私が日常風景を撮影する時の標準サイズ1920×1440ピクセルの写真1枚がやっと収まる容量に過ぎない。 その後ソニーのデジカメでは、メモリースティックにより画像が保存されるようになったが、欠点として、価格がべらぼうに高いという問題があった。また、パソコンで読み取る際には、外付けのメモリーカードリーダライタを利用する必要があった。この点、SDカードのほうが遙かに安く、また大概のノートパソコンにはSDスロットが内蔵されていて直ちに写真ファイルを読み取ることができた。こうした点から、ソニーからオリンパスのデジカメに切り替えた。 最近では、殆どの人がスマホで撮影するようになり、デジカメ、特に「コンデジ」は衰退の一途をたどっているように見える。私が愛用しているオリンパスの機種も生産中止となってしまった。しかし、私自身が求める以下のようなデジカメの条件は、スマホや高級一眼レフでは代用できない。
というようにいろいろ条件を挙げてみたが、コロナ禍が想定外に長期化するなか、私の人生において、テント泊を伴ったトレッキングとか辺境地域への旅行というのは、もはや再開のメドが立たなくなった。じっさい、ウォーキングコース沿いの花の写真を撮る程度であるなら、GPS機能は要らないし、予備の充電池を何枚も持ち歩く必要もない。 もとの話題に戻るが、2002年7月02日の初回放送時に「大ヒットから7年、デジカメはフィルムカメラの出荷額を超え、年間1600万台を日本企業が生産し、世界シェアは8割。」と称えられた日本企業によるデジカメの製造は、台数ベースでみると2020年には2010年の14分の1に減ったという。もっとも、レンズ交換式カメラを含めた出荷台数では、キヤノン、ニコン、ソニーが89.1%のシェアを占めているという統計もあり、日本企業の地位が揺らいでいるわけでもなさそうだ。なお、ウィキペディアによれば、今回の番組で取り上げられていたカシオは、「2018年5月9日、カシオは市場の縮小により赤字となっているEXILIM等のコンパクトデジタルカメラ事業からの撤退を発表した」ということで、デジカメ製造業界からは姿を消している。 |