じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 妻の実家のある北九州から岡山に戻る途中、めかりPAに立ち寄った。まだ工事中の箇所があったが、新しい展望台からは関門橋や海峡、洞海湾方面が一望できた。

2022年1月08日(土)



【連載】チコちゃんに叱られる!「なぜコロコロよりゴロゴロの方が大きく感じる?」

 昨日に続いて、1月2日に放送された表記の番組についての感想と考察。本日は、
  1. なぜ年賀はがきにはお年玉くじが付いている?
  2. なぜ正月にお屠蘇を飲む?
  3. 最強のシャボン玉決定戦
  4. なぜコロコロよりゴロゴロの方が大きく感じる?
  5. なぜ運動会で紅組と白組にわかれる?
という5つの話題のうち、4.について考察する。

 まず1.であるが、正解は「「『コ』と言うときよりも『ゴ』と言うときの方が実際に口の中の空間が大きくなっているから」。」とされた。もっとも放送の中では、他にもいくつかの原因が挙げられており、口の中の空間がどの程度関与しているのかは疑わしいように思えた。放送の中で挙げられた点をメモすると、
  1. 濁点がない発音よりも濁点がある発音のほうが口の中が膨らむから。「シ」と「ジ」を発音する時の口腔内の大きさをMRI画像で比較すると、濁点のある「ジ」のほうが大きいことが分かる。
  2. 濁点のある発音のほうが低い音がでる。「コ」と「ゴ」の周波数を比較すると、「ゴ」と発音した時のほうが、周波数の低い成分が見られる。
  3. 大きさの違う鈴を鳴らしてみると、大きい鈴のほうが低い音になる。これは、太鼓や鐘でも同様で、大きい太鼓や大きい鐘のほうが低い音になる。
となる。解説の川原繁人先生(慶應義塾大)は、上記の3つをつなげて、

●濁点のついた音を発音すると口の中の空間が広がる→低い周波数の成分を含む音が出る→低い音を出す大きなもののイメージに結びつく

と説明しておられたが【←あくまで長谷川の聞き取りによる】、口の中の空間の大きさにまで結びつけて説明する必要はなく、むしろ、

●濁音は低い周波数成分を含むため、大きなものが動いたり音を出したりする時の擬音語、擬態語になりやすい。【但し、それぞれの言語の文化的背景や、同音異義語などの影響を受けるため、100%そうなるというわけではない】

という程度にとどめておくべきではないかと思われた。話し手はふつう「口の中の空間の大きさ」を比較することができない【だからMRI画像で比較している】。聞き手にとってはあくまで低音が聞こえるかどうかが重要であるからだ。
 あと、モノの大きさがダイレクトに擬音語や擬態語の音声的な性質に対応するわけではないように思われる。例えば、「あっ!ゴキブリだ!」と叫ぶ時のゴキブリは濁音が2つもあるので低い周波数成分を多く含むと思われるが、大きい昆虫ではない。また、声の大きさと「ゴキブリ!」の大きさは対応していない。なので、擬音語や擬態語の音声的な性質とモノの大きさとの対応関係は一義的に定まるわけでない。

 放送ではさらに、直線だけで構成され尖った部分の多い図形と、集合のベン図のような丸っこい図形に対して、「タケテ」と「モルナ」のどちらの名前をつけるかを尋ねると、尖ったほうを「タケテ」、丸っこいほうを「モルナ」と名づける人が大半を占めるという事例が紹介された。じっさい、
  • 濁点がつけられる音(カ行、サ行、タ行、ハ行)は角ばった、近寄りがたいイメージ
  • 濁点がつけられない音(ナ行、マ行、ヤ行、ラ行、ワ行)は丸っこい、親しみやすいイメージ
といったことが研究により分かっているという。さらに、「サ行」は「サッと風が吹く、スーッとする」のように速さや爽快感を表し、「マ行」は「もふもふ むちむち」のようにやわらかさや弾力性、「ナ行」は「ねばねば、ぬるぬる」のように粘着性をイメージさせると紹介された。

 上掲の「タケテ、モルナ」に関しては「ブーバ/キキ効果」が古くから知られているが、この場合の「ブーバ」は濁点がつけられたハ行の音であって、上掲の分類とは異なっている。ハ行は「ふわふわ、ぷよぷよ、ぶくぶく」というように、必ずしも「角ばった、近寄りがたいイメージ」をもたらすとは限らないように思うのだが、どうだろうか。

 あと、関係フレーム理論では、非恣意的、恣意的という関係が区別されているが、擬音語や擬態語はどちらにもはっきりとは属さないところにあるようである。例えば、子どもが、犬を「ワンワン」、猫を「ニャンニャン」と呼ぶ場合、ワンワンやニャンニャンは実際の鳴き声と非恣意的な関係にあり、犬を「ニャンニャン」、猫を「ワンワン」と呼ぶことはできない。とはいえ、言語によっては犬を「バウワウ」、猫を「ミャオ」と呼ぶこともあり、人類共通であるというわけではない。
 ついでながら、関係フレーム理論を上記の説明に当てはめれば、低い音とモノの大きさの関係が、濁音とその音が指し示す事物の大きさに関係フレームづけされたという言い方ができるかもしれない。いずれにせよ、濁音と大きさとの関係については、日本語の擬態語特有のものなのか、いろいろな言語で共通して見られるものなのか【といっても濁音を発しない中国語などもあるが】、もう少し資料が欲しいところだ。

次回に続く。