【小さな話題】令和の寺子屋「生命って何だろう 生物学者・福岡伸一」その5 全ての生物はなぜ死ぬか(2)テロメア、老衰
昨日に続いて、NHK-Eテレで1月30日の16:15〜17:00に放送された表記の番組についての感想。
本日は放送からは完全に脇道に逸れるが、「全ての生物はなぜ死ぬか?」について福岡先生の説明を拝聴する前に、私自身が死の仕組みについて学んでいたことを復習しておくこととしたい。但し、これらは殆ど、ヒューマニエンスからの受け売りに過ぎないことをお断りしておく。
- 我々のからだは細胞分裂を繰り返すことで維持されている。一部の例外を除いて、古い細胞は捨てられ、新しい細胞に置き換わる。
- 細胞分裂の際には遺伝子がコピーされる。このコピーがうまくできないと、癌などが発生して個体を存続させることができなくなる。
- 細胞分裂のさい、テロメアが重要な働きをしている。テロメアは染色体の末端に位置し、DNAを保護するキャップのようなものであるが、細胞分裂を繰り返すたびに、まるで回数券を使うかのように短くなっていく。そうして、短くなりすぎると分裂が滞るようになり、老化した細胞が増え、臓器や筋肉の機能が低下し、おのずと死へ向かって行く。
- テロメアさえ修復できれば老化が進まないように思えるが、実際はむやみにテロメアを修復すると、がん化が起こってしまうというから困ったものである。もともと、テロメアは、分裂にともなうがん化を防ぐために機能している。分裂が何度も繰り返されるとがん化のリスクが高まっていくが、それが起こる前に、頃合いを見計らって分裂をストップさせてしまうのがテロメアの働きである。
- テロメアが短くなるスピードには個人差があり、紫外線、飲酒、極度のストレス、さらに喫煙はテロメアを短くする原因になっているという。
ということで、現状では、不老長寿を手に入れることはできない。但し、がん化が起こらないような形でテロメアを修復することができれば、150歳とか200歳というような長寿を実現することができるかもしれない。もっとも、そうなった場合、超高齢・超少子化社会をどう維持していくのかという大きな問題に直面するだろう。
ところで、ここまで述べてきた「死」というのは、事故や疾病を免れたとしても必ず死ななければならない、という話であった。つまり老衰による死ということであるが、実際に老衰で死ぬ人は10人のうち1人にも満たない。厚労省の統計(2020年)によれば、主な死因の構成割合は、
- 悪性新生物 27.6%
- 心疾患(高血圧性を除く) 15.0%
- 老衰 9.6%
- 脳血管疾患 7.5%
- 肺炎 5.7%
- 誤嚥性肺炎 3.1%
- 不慮の事故 2.8%
- 腎不全 2.0%
- アルツハイマー病 1.5%
- 血管性及び詳細不明の認知症 1.5%
- その他 23.7%
となっている【集計値はこちらによる】。
なので、「人はなぜ死ぬのか?」は、
- 多くの人は、なぜ老衰以外の原因で死ぬのか?
- 人はなぜ、どんなに長生きしても最期は老衰で死ぬのか?
に分けて考える必要があるように思う。
ところで、「老衰で死ぬ」というのは天寿を全うしたという点で理想的な死に方のように思われがちだが、実際はそうでもないらしい。こちらの記事【出典は『週刊現代』2019年8月3日号、一部、長谷川により省略・改変】によれば、
- 突然死とは異なり、一般的に老衰は加齢によって体が機能しなくなり、ゆっくり死を迎えるというイメージがあるがそうではない。健康そうな高齢者が3週間余りのうちに急速に衰弱して死ぬこともある。
- 老衰の鑑別は曖昧であり、老衰と診断された死亡患者も、実際に病理解剖を行えば心筋梗塞や脳梗塞など、他の死因がかなりの高確率で判明する可能性がある。
- 遺されたご遺族も『がんや心筋梗塞で死んだとするよりも、老衰で死んだといったほうが外聞がいい』と、意図的に老衰を選択することも多々ある。さらには、老衰という名のもとに、病院側も患者への虐待や医療ミスを隠蔽することだって起こりうる。
- 小腸の内側はヒダ状になっており、食事を摂った際、そこから効率的に養分を運べる仕組みになっているが、老衰の状態になるとヒダが収縮してしまう。せっかく摂った食事を体内に上手く取り込むことができず、体重減少に歯止めがかからなくなる。
- 細胞が老化すると「炎症性サイトカイン」と呼ばれる免疫物質が体内で大量に発生する。この物質が分泌されると体内の臓器が炎症を起こし、一気に機能低下が起きてしまう。たとえば筋肉がサイトカインによって炎症を起こすと運動機能が衰える。その結果、肺を動かす筋肉も動かなくなってしまい、呼吸も浅くなっていく。そうやって、少しずつ生命維持が難しくなってしまう。
- 老衰で死ぬと、「老衰で穏やかな最期を迎えられて、よかったね」と声をかけられることがあるが、遺族からみれば「どこも悪くなかったのに、なんでこんな急にいなくなったんだ」というモヤモヤが消えない。
- 老衰死はがんのように、亡くなるまで一定の時間がある病気より死への覚悟が持ちづらく、逆に急性心不全のように、死を意識する前にポックリ逝ってしまうわけでもない。
- 「いわゆる孤独死といわれている人たちの死因は、実はほとんどが老衰。彼らは社会との接点を失い、50〜60代以上の年齢に差し掛かっても外部と関わることなく引き籠もり生活を送っている。そんな人たちは目の前の生活に絶望し、食事もまともに摂らない。生きる気力を失い、限りなく自殺に近い老衰を選択するようになる。この現実をみても、老衰と一口にいっても実態は悲惨な現実がある。その点を忘れてはいけない。
ということで、老衰が生物としての理想的な死に方であるかどうかは再考しなければならないようだ。ま、自分から死因を選ぶことはできないので、どういう形で死ぬにせよ、終活をちゃんとやっておく必要がある。それも葬儀や財産管理といった現実的な準備ばかりでなく、自分の生涯は結局どういうものであったかをまとめたり、子孫に残すものと一代限りで廃棄するものを分類整理したり、といった作業が中心となる。
次回に続く。
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