じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 文学部中庭のソメイヨシノ。気象庁データが示すように、岡山では3月13日から16日まで5日連続で最高気温が20℃以上という暖かい日が続いた。その影響でソメイヨシノのつぼみも一気に膨らみ、開花目前となっている。但し、その後、平年並みの気温に戻り、3月24日と25日は最低気温が2〜3℃まで下がると予想されており、いったん開花が足踏みする可能性もある。

2022年3月19日(土)



【連載】ヒューマニエンス「“時間” 命を刻む神秘のリズム」(4)「いま」とは何か?

 昨日に続いて、2021年12月16日に初回放送された表記の番組についての備忘録と感想。

 放送の後半では、「“今”とは何なのか?」という話題が取り上げられた。解説の北澤茂先生(大阪大学)は、1月6日に初回放送された、

コズミックフロント「宇宙をひらく 究極の“時間”に迫れ!」

にも登場されていた【←実際の初回放送日時はこちらの番組のほうが遅いが、私自身はこちらの放送を先に視聴していた】。その時のご説明の内容は、
時制を含む短い文を聞いて「現在」だと思った時、脳の楔前部(けつぜんぶ)という領域に強い血流が生じるた。楔前部で入った情報は海馬で記憶される。これにより、現在の情報は過去の記憶となる。こうして、楔前部で捉えられる「現在」の位置が時間軸の中で徐々に未来の方向に押し出されていく。こうして心の中に過去・現在・未来の時間軸ができていく。「時間の本質である過去・現在・未来の区別は、私たちの心、脳が作り出している」
といったものであり、人間以外の動物も時間の流れの中で生きているが、楔前部から海馬への情報の受け渡しが無ければ、過去と現在の区別はもっと漠然としたものになるであろうと理解した。

 今回の放送でも、過去・現在・未来という認識はヒトしかできないということが語られた。要するに「エピソード記憶」があるかないかが、ヒトとヒト以外の同武具の大きな違いである。またヒトはチンパンジーと異なり「未来」を持つ。「未来」を持ったが故に絶望もするし希望を持つこともできる。
 認知症のスクリーニングテストでは、第一問目は「今日は何月何日ですか」、二問目は「ここはどこですか?」と訊かれる。認知症の初期症状では、まず「いま」が分からなくなり、次に場所が分からなくなり、最後に人が分からなくなるという。「時間」は進化的に最後に発達した概念であろうと指摘された。
 時間が分からなくなるというのはどういうことか?については為末さんから「歩いてきてここに来たという文脈の中で理解すること」という指摘があった。じっさい、「じぶんとは何か?」とふと疑問に思った時、自分がいつどこで生まれてどういう経緯で今ここに居るのかがある程度、かつ連続的に思い出されれば、いまの自分が分かった気持ちになる。本当は、なぜ自分がこの時代に生まれたのか、なぜ地球上の日本という国に生まれたのかも大きな疑問になるはずだが、そこまで突き詰めなくても納得してしまう。いっぽう、そういう記憶が失われると、いまの自分を定位できなくなってしまう、と言えるだろう。
 北澤先生によれば、認知症では脳に老廃物がたまって、大脳の内側にある楔前部(今回は「せつぜんぶ」と発音された)の機能が失われてしまう。ちなみに、「今」、「ここ」、「私」を感じるのは実は同じ場所であり、もしかしたら同じ感覚であり、それが「意識」そのものかもしれないと指摘された。

 北澤先生によれば、「今」は、物理学のような一瞬ではなく、0.1秒程度というある程度の幅を持っている。両手の薬指に時間差のある刺激を与えて、後に刺激を受けたと感じたほうのボタンを人差し指で押す、という実験を行ったところ、時間差が0.1秒未満では時間差を区別することができない(0.1秒以上ではほぼ正解)。次に、手を交差して実験を行ったところ、0.1秒から0.2秒までの時間差のところで正解率が10%以下に落ち込み、0.3秒以上のあたりから正解率はどんどん上昇するようになる。この現象は、「交差した状態で左手の薬指を触ると、脳はまずいつも左手がある場所に原因を探してしまう。そのさい右手から刺激を受けたと一瞬間違える。」と解釈され、この実験から、北澤先生は、最低0.1秒間、時には0.3秒間ほどかけて「いま」を認識していると考えた。

 脳はまた、編集して「いま」を捉えているという。例えば、右側に2人、視線を移した後で目に入る左側に1人が居たときには、視線を移す間の時間の映像はカットされ、「いまここに3人が居る」というように現実を認識する。

 北澤先生の更なる説明によれば、脳のα波は1秒間に約10回振動するが、その0.1秒の間に入ってきた信号は同時に起きたものと見なされる。そのことにより、陸上競技などで号砲から0.1秒以内のスタートはフライングと見なされる。いくら鍛えてもそれより早くスタートすることはできないようである。

 以上の内容は分かりやすいものであったが、この放送では、過去・現在・未来の認識における言語行動の役割、つまり、それらが後天的に獲得されるものである可能性については語られなかった。ヒト以外の動物が未来を持てないのはエピソード記憶が無いためであるという説明があったが、ウィキペディアにも記されているように、ヒト以外でも「エピソード的記憶」の存在は確認されつつある。私自身は、過去や未来の認識にとっては、関係フレーム理論で論じられているような言語行動の役割が不可欠であると考えている。

 あと両手を交差した実験が、「いま」の上限値0.3秒の根拠になるかどうかはイマイチ分からない。時間の前後についての錯覚現象は他にもあり、もっと長い時間でも後から起こったことが先であるように認識されることはあったと思う。なので、「どのくらいまでの時間範囲で錯覚が生じるか」だけでは閾値を確定することはできないように感じた。

 次回に続く。