じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 各種報道によれば、23日午後、北海道の知床半島の沖合で乗客と乗員合わせて26人が乗った観光船から「浸水している」と救助要請があり、4月24日朝の時点では、行方がわかっていないという。
 ウトロから知床岬沖までを往復する観光船は、1978年夏に乗船したことがある。私が乗った船は比較的大型の観光船であったが、このほかに、釣り船と称して観光客を乗せる業者もあり、地元のユースホステルもそちらのほうを強くオススメしていた。観光船ではなく釣り船と称していたのはおそらく営業免許の関係かと思われる。釣り船のほうが滝の近くまで接近できるので迫力があると言われていたが、そのぶん座礁などのリスクがある。
 それにしても、いまの時代、乗客や乗船の中にはスマホを携帯していた人も多いはずなのに、行方が分かっていないというのは大きな謎だ。スマホの圏外ということだろうか。また、救助要請があってから後もかなりの時間明るかったはずなのに、その日のうちの捜索・救助活動が成果を上げなかったというのもよく分からない。いずれにせよ、全員が無事に救助されることを祈る。

2022年4月24日(日)



【連載】チコちゃんに叱られる!「惑星と遊星」「行けたら行く」

 昨日に続いて、4月22日に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
  1. 「ジグソーパズル」を作ったのはなぜ?
  2. 惑星を「惑う星」と書くのはなぜ?
  3. 地域によることばの違い「行けたら行く」
  4. 穴があったらのぞきたくなるのはなぜ?
という4つの話題のうち、2.と3.について考察する。

 まず、惑星の語源だが、放送では「空をさまよい惑っているから」として、二重の円形の軌道を動く模型電車の動きで説明された。内側の「地球電車」が外側の「火星電車」を追い越すと、しばらくの間、「火星電車」は逆方向い動いているように見える。もっとも、惑星の動きが惑っているように見えるのは、地球からそのように見えているだけの話であって、太陽系全体を遠くから見渡した時には、どれも規則的に楕円軌道を描いており、進んだり戻ったりしているわけではない
 そのあと「惑星」と「遊星」の呼称をめぐる東大vs京大論争のエピソードが取り上げられた。この話はウィキペディアを引用する形でこのWeb日記で取り上げたことがあったはずだが、過去日記を検索してもうまく見つからなかった。また、映画『遊星からの物体X』のメモ・感想をどこかに書いたはずだったが、これも検索ではヒットしなかった。
 私が子どもの頃は「遊星」という言葉はかなり使われており、ウルトラマン18話『遊星からきた兄弟』というのもあった。そのいっぽう、子どもの頃愛読していた岩崎書店(Iwasaki Shoten)/少年少女宇宙科学冒険全集 1960-1963年には『消えた惑星の謎』というタイトルの本もあった。「消えた惑星」というのは、火星と木星のあいだにあった惑星のこと。
 なお放送の中で、東大vs京大論争を新解釈した寸劇があったが、3人のキャストの紹介のところで出身大学が、
  • 東京帝国大学教授 平山清次:草野仁(東京大学出身)
  • 京都帝国大学教授 荒木俊馬:山西惇(京都大学出身)
  • 京都帝国大学教授 上田穣:宇治原史規(京都大学出身)
と紹介されていた。宇治原さんが京大出身であることは知っていたが、他のお二人の出身大学のことは今回初めて知った。ウィキペディアで調べたところ、草野仁さんは東京大学文学部社会学科卒、山西惇さんは京都大学工学部石油化学科卒、宇治原史規さんは京都大学法学部卒となっていた。




 次の「地域によることばの違い」では、「行けたら行く」という返事の意味合いに地域差があるという話題が取り上げられた。関東の人たちは行く気持ちがある時に使うが、関西の人は「行く気持ちが無い時にも使うという。今回の調査では、「行く気が無い」のに「行けたら行く」と答える人の比率は、関東では38%に対して関西では71%に達するという。この違いについては、関西では人間関係が濃厚であるゆえ(「察しの文化」)、遠回しな表現でもお互い理解し合えると説明された。このほか、京都で使われるとされている言い回しとして、
  • おしゃれな服ですね
  • 元気なお子さんやねぇ。
  • お茶もう一杯飲まはりますか
  • 娘さんピアノ上手ですね
  • きれいな手やねぇ〜
  • 丁寧な仕事してはりますな
などが紹介されていた。この種の婉曲表現は時たまテレビやネット上で取り上げられるが、実際にどの程度使われているのかはよく分からない。私自身、京都で15年ほど生活したことがあるが、私のようなよそ者がそのような表現を使われることは無かった(というか仮にそういう表現をされても私には通じなかった)。

 次回に続く。