Copyright(C)長谷川芳典 |
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昨日の日記で『100日の郎君様』の話題を取り上げたが、このドラマの中にはいくつか私のよく分からないシーンがあった。画像は、第8話(但し全16話編集)の終わりのあたりで、世子が上の村を訪れるところ。画像上は、世子が通りすがりの男(左側)に道を尋ねているところ。すると、籠を運んでいるおばあさんが少し離れた場所で世子の背後から「ウォンドゥクーっ」と声をかけた。私にはこのシーンは、2通りに解釈できる。
しかし、このシーンだけではウォンドゥクがどちらであるのかは判断できないように思われる。実際、ネット経由でこのドラマのことを知らない某家族に判断をしてもらったところ、2.であるという答えだった。もっとも妻は、ゼッタイ1.であると主張している。 なお、以上とは別に、このシーンの段階では2.であったが、その後、おばあさんが見間違えていたことが分かり、おばあさんに詳しく尋ねたところ本物のウォンドゥクは世子とは別人であるという確証が得られたという可能性もあるとは思う。 |
【連載】チコちゃんに叱られる!「逆上がりを練習する理由」 5月13日に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この回は、
本日はこのうちの1.について考察する。 逆上がりをする理由について、放送では「子どもたちに努力が報われる経験をしてほしいから」と説明された。鴻巣暁先生(東京大学)によれば、鉄棒などの器械体操は1800年代、ドイツのフリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーンによって生み出され、日本では明治初期に伝えられその頃は兵士の訓練に使われていたが、1913年、『学校体操教授要目』により小学校の授業に採用。当時は「尻上」(しりあがり)と呼ばれていた。 なぜ逆上がりが取り入れられたのかについて鴻巣先生は、その大きな理由の1つは、成功体験を手に入れてもらうためであるという。は筋力は弱いが体重が軽いため、逆上がりに必要な踏み込みや体重移動などのコツを時間をかけて練習すれば成功させることが可能。すぐには成功できない逆上がりという課題に対しどうすればできるかを考え乗り越える。この成功体験を通して生まれた自信は子どもたちのその後の人生にも大きな影響を与えるという考えの下、小学校の授業で採用されたという。 昭和33年(1958年)改訂の『小学校学習指導要領』の中の「いずれの学校においても取り扱うことを必要とするもの」という項目の中には、 器械運動というように逆上がりが含まれていた。 現在では、ゆとり教育や全国的な子どもの運動能力低下により、難しい逆上がりは必須項目ではなくなった。しかし、逆上がりはジャンプやステップなどの運動の基礎を身につけることができ、子どもたちの精神的な成長も期待できることから、現場の先生たちの熱い思いにより現在でも小学校で続けられるということであった。 放送ではこのあと、鴻巣先生が開発した「誰でも逆上がりができるコツ」が紹介され、逆上がりができなかった小学1年生の女の子が練習開始から71時間後に成功するまでの記録が『チコメント72hours』(←『ドキュメント72時間』という番組をもじったもの)としてまとめられた。 ここからは私の感想・考察になるが、私が理解した範囲では、「子どもたちに努力が報われる経験をしてほしいから」という「正解」はあくまで鴻巣先生の個人的な期待を述べたものであって、エビデンスとしては不十分であるように感じた。逆上がりは、かつては小学校の必須項目であり、ゆとり教育後はそれから外されたということであれば、まずは、 ●なぜ、1958年の『小学校学習指導要領』の必須項目として逆上がりが取り入れられたのか? について公式の資料を示すべきであろう。単に体力増強のためかもしれないし、今回正解とされた「努力が報われる経験」なのかもしれないが、とにかく、文書に残されているような証拠が欲しいところだ。 また、現在では逆上がりは必須項目になっていないということであれば、「小学校で逆上がりをするのはなぜ?」という疑問は成り立たないことになり、正確には、 ●逆上がりは必須項目ではないのに、なぜ今でも小学校の体育の授業で取り入れられているのか? と書き換えるべきであろう。その上で、逆上がりの効用として「すぐには成功できない逆上がりという課題に対しどうすればできるかを考え乗り越える。この成功体験を通して生まれた自信は子どもたちのその後の人生にも大きな影響を与える」という説明をすればよいのではないかと思った。 ちなみに、努力を重ねることで何かを達成するという経験は、次の新しい課題に取り組む際の動機づけとして有効であろうとは思う。但し、取り組む課題や必要とされる努力が質的に異なっている場合には、成功体験が「般化」するとは必ずしも期待できない。例えば、中学・高校でスポーツ分野で努力を積み重ねることによる成功体験をしたからといって、受験勉強でも同じように努力を重ねることに繋がるかどうかは何とも言えない。要するに、努力を重ねるということは個別に強化される必要があり、それぞれの分野ごとに強化の随伴性が用意されていなければ途中で挫折することになるだろう。もとの話題に戻ると、逆上がりの練習成果が今後の精神的な成長に繋がるかどうかは、何とも言えないし、もしかすると現場の先生の過剰な思い込み過ぎない可能性もある。 ところで、逆上がりはウィキペディアでは 逆上がり(さかあがり)は鉄棒運動の上がり技の一つ。地面に足をつけた状態から始め、体を後方に回転させながら棒上に上がる。子供達の遊びとしてもよく行われるものである。と定義されていた。私自身は、この逆上がりは初歩段階のものであり、「本当の逆上がりは、腕をまっすぐ伸ばした状態で鉄棒にぶら下がり、足を地面につけないまま前方向に一回転すること」であると思っていた。しかし、ウィキペディアでは ●棒上支持からの後転はしばしば「空中逆上がり」とよばれるが、これは正式には「後方支持回転」という回転技で、逆上がりとは別の種類のものである。 となっていた。中学生の頃は私でもこの「後方支持回転」や懸垂10回ぐらいはできていたと記憶しているが、今では鉄棒にぶら下がるのも難儀である。じっさい、数年前に、ぶら下がり健康器にぶら下がっていた時に突然右肩が痛み出し、以後半年以上、右腕を前回し、後ろ回しすることができなくなってしまった。幸い、現在では、両腕とも前後に回すことができるが、ぶら下がりは再発の恐れがあるため控えている。 次回に続く。 |