じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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『千と千尋の神隠し』の海原電鉄を連想するボリビアの鉄道。2004年に撮影。↓の記事参照。


2022年11月14日(月)



【小さな話題】「行動随伴性を重視したジブリパーク」「日本アルプス大縦断2022」

 最近視たTV番組のメモと感想。
  • 【11月2日 TV東京系】ガイアの夜明け「独占取材!ジブリパーク、開園までの舞台裏」
     11月1日に愛知県長久手市にオープンした「ジブリパーク」の開園までの準備、園の特徴、それを実現するスタッフたちの研修の様子などが紹介されていた。
     リンク先にもあるようにこのパークは「自ら映画の世界を体験し、発見し、それぞれの物語を紡いでほしい」という方針を貫いており、各エリアのスタッフは、来園者を「見守り」、時にきっかけを与える「影の存在」に徹することを重視していた。
     具体的には、例えばトトロの「サツキとメイの家」にはいろいろな家具や小物が展示されているが、ただ見るだけでなく触って楽しむことができるようになっているという。『耳をすませば』のバイオリン工房にあるピアノや制作中のバイオリン小物はすべて本物にこだわっており、木くずまで散らばせている。
     アルバイトスタッフの研修会では、「お客様へは「監視」とかは使わずに、あくまでお客様の「見守り」や「サポート」がスタッフの役割になってきます」と強調されていた。この方針には他のテーマパークでスタッフを経験ことのある人ほど戸惑いを見せるという。
     あくまで私の個人的な見解だが、行動分析学的に言えば、「来園者が自ら体験し、発見する」というのは、来園者自身が自発する行動を重視しそれを強化するというやり方に近い。「見守り」とか「サポート」というのは、そうしたオペラント行動に、やんわりと弁別刺激を与えたり、その行動が強化されやすいように最小限度のお手伝いをするということである。これは、ベルトコンベアの上のカートに乗せられて順番に展示物を眺めるというようなレスポンデント的な楽しみ方とは異なっている。テーマパークのみならず、高齢者施設でも取り入れてもらいたい仕掛けである。
     なお、ジプリパークは11月1日に開園したというが、まだ二期工事が続いており、「もののけの里」や「魔女の谷」が来年度中には開園するという。ジブリパーク制作の指揮をとる宮崎吾朗さんも「慌てて最初に来なくてもいいですよ」と言っておられた。
     私自身が特に実現してほしい施設としては、
    • 千と千尋の神隠し』の不思議なトンネルと、それに続く無人の飲食店街
    • 同じく『千と千尋の神隠し』の水の中を走る海原電鉄。電車は動かさず(振動だけ)、車窓の景色を液晶画面で変化させる。乗っていると一面の海原から夕暮れの景色となり、銭婆の家のある停車場にたどり着く。
    • ハウルの動く城のでドアを開けるたびに別の世界が広がる仕掛け。
    などなど。


  • 【11月5日&11月12日 NHK-BS1】激走!日本アルプス大縦断2022(後編はこちら

     日本海をスタートして、北アルプス、中央アルプス、南アルプスの主要な稜線を縦断し太平洋まで駆け抜けるという過酷な山岳レース。全長は415km。制限時間は8日間。
     このレースを紹介した番組はほぼ毎回視聴しており、過去日記を検索したところ、 などで感想を述べていたことが確認できた。
     今回の放送では、過去日記でも何度か取り上げている望月将悟さんの4年ぶりの帰還や、驚異的なスピードで首位を独走した土井陵さんの活躍などが伝えられていたが、単に順位争いだけに興味を向けるのではなく、途中で体調を崩して棄権したり関門通過が間に合わず失格となったりした選手のこのレースへの思いなどが伝えられていて感動的であった。
     もっとも、以前にも何度か書いているが、このレースでは睡眠不足でヨロヨロになった参加者がに真夜中に切り立ったキレットを通過するなどあまりにも危険が多く、また、体をボロボロになるまで酷使して骨や筋肉を傷めるなど、本来は健康増進が目的であるはずのスポーツとしては少しやり過ぎではないかという気もする。いくら事前の選考で強者揃いが揃っていたからといって、こうして毎回のようにテレビで大々的に取り上げられるようになれば途中で引き下がれずに無理をする選手も出てくる。大事故が起きる前にもう少しルールを変えたらどうかという気がする。
     おそらく一番妥当なルールは、毎日、昼間のうちに到着できる範囲でゴールを決めておき、そこに到着した選手は翌朝まで必ず睡眠を取らなければならないというものである。総合順位は合計タイムで争うことにする。こういうルールは海外の一部の山岳レースでも採用されていたはず。とにかく、不眠不休で走り続けることによるリスクは避けなければならない。
     ま、この種のレースに参加する人たちは、おそらく、脳内物質の分泌のシステムが特殊化しており、自分の体を極限まで酷使して何かを達成しなければ満足感が得られないようになっているのかもしれない。なので私のような凡人のたわごとは余計なお節介に過ぎないのかもしれないが。