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ウォーキングの途中、青い線の入った「キハ120浜田色」を見かけた。この車両はオレンジ色の線の入ったキハ120と連結して運行しているが、私がウォーキングしている最中に見かけたのはたぶん3回目、撮影できたのは今回が初めてであった。 整備の都合なのか車両運用の都合なのかはよく分からないが、同じ時刻に出発する車両は日によって入れ替わっている。但し、私の知る限りでは、なぜか、
[※追記]12月12日の岡山15時38分発の列車は、浜田色の車両が津山側(=前側)に連結されていた。なので3.は必ずしも成り立たない。 |
【連載】チコちゃんに叱られる! 「心が折れる」とメタファー 12月2日に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
私自身は、この「心が折れる」という表現を使ったことはない。他の人の文章やインタビューなどで耳にしたことがあるかどうかも記憶が無い。その意味は、おそらく、 ●「心」というのは精神活動の総称、もしくは精神活動のある側面を表す呼称である。「心が折れる」というのは、精神活動が「心」という「柱」によって支えられていると仮想した上で、それが「折れる」、つまり「支えを失う」ということを意味した比喩表現であろう。 と考えていた。次にネットで調べたところ、『デジタル大辞泉』に 心の支えを失い、意欲がなくなる。障害にぶつかってくじける。「ずっとがんばってきたが、親友の裏切りで―・れた」となっていた。 気づき共有塾というサイトにはさらに詳しい解説があり、 【デジタル大辞泉の引用のあと】さらに、NIKKEI STYLEの記事、「『心が折れる』、起源は女子プロレスの伝説の試合」によると、上記に類する意味での「心が折れる」という言葉は、書籍『プロレス少女伝説』(井田 真木子著、かのう書房、1990年刊行)に掲載された女子プロレスラー神取忍さんへのインタビューが活字としての初出だと言われています。と説明されていた。 ということで、ネットで調べる前の私の当初の推測もほぼ当たっていたと言える。 要するに、「折れる」というのは一種のメタファーであり、精神的なダメージを受けた時の分かりやすい表現であると言える。であるならば、女子プロレスラーの神取忍さんより以前から、それこそ平安時代の頃から使われていてもおかしくないと思うのだが、そのような文献は見当たらないらしい。 もっとも「心が折れる」ではなく「心折れる」という表現は昔から使われており、『精選版 日本国語大辞典』には、
さて、今回の放送では、「心が折れる」と言うのは神取忍が折ったから、が正解とされた。今から35年前の1987年7月にジャッキー佐藤選手との一戦。この試合の2週間前、ジャッキー佐藤の攻撃が神取さんの負傷箇所にあたったことで因縁が生まれた。その試合を振り返った神取さんのインタビューが残っている本には「心を折る」などが8回も使われており、当時格上だったジャッキー佐藤さんの心を折ろうとした技で神取さんがギブアップをとり勝利した、というエピソードが紹介された。もっとも、上掲の「気づき共有塾でも指摘されているように、このエピソード自体は「心が折れる」ではなく「心を折る」に関するものであるように思う。 関係フレーム理論で論じられているように、メタファーは、言語行動の拡張、他者との円滑なコミュニケーションをはかる上で有用である。とりわけ、観察が困難であるような精神状態を他者に伝えようとする時はメタファーに頼る他はない。「心が○○する」あるいは「心が○○される」という表現、例えば「心が壊れる」、「心が躍る」、「心が叫ぶ」、「心がかよう」、「心が洗われる」、...などはすべてメタファーである。メタファーはあくまでメタファーであって、科学的な理論を構成することはできないが、人間自体がメタファーで納得したり共感したり動機づけられたりする性質を持っているゆえ、メタファーの多様で悩みや不安が解消する可能性は大いにある。 次回に続く。 |