じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 日没後の西の空で、木星と金星がデジカメの同一視野内におさまるようになってきた。なお、木星と金星は3月2日に0°32′まで接近する。

2023年1月11日(水)



【連載】チコちゃんに叱られる!「紅白幕と鯨幕」「身長差別」

 昨日に続いて、1月6日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
  1. 駅伝ってそもそもなに?
  2. 初詣に行くようになったのはなぜ?
  3. 鼻水ってなに?
  4. 紅白幕がおめでたいのはなぜ?
  5. 【おたよりご紹介】みんなより背が小さかったらどうするか
という5つの話題のうち、残りの4.と5.について考察する。

 まず4.の紅白幕がおめでたい理由は、放送では、「白黒幕がおめでたくなくなったから」が正解とされた。
 紅白幕はもともと白黒幕から生まれた。白黒幕の正式名称は「鯨幕」。背中が黒く、お腹が白いクジラの見た目や、クジラの皮(黒)とその下の皮下脂肪部分(白)からその名がついたとされる。鯨幕がいつ誕生したのかははっきりしていないが、は江戸時代中期の1800年頃とされている。大阪の住吉大社では神の世界との境界線を表す神聖なイメージとして捉えており神事に使用されている。伊勢神宮では鎮地祭で、また、天皇が国家と国民の平和と繁栄を祈る宮中祭祀でも鯨幕が使用されている。このように、江戸時代までの日本人にとって、鯨幕は「ここは神聖な場所ですよ」ということを気づかせてくれるものだった。
 明治4年に政府は「服制ヲ更メ、国体ヲ立ント欲ス」として洋服に変えて国の力を強めようと発表した。『日本書紀』に、葬儀の参列者は素服(白の喪服)を着ることが一般的であったという記述がありその後1000年以上、日本では喪服は白一色だったが、国を挙げた大きなお葬式があるたびに政府から葬儀のマナーが発表された。その中で、西洋にならって黒い服を着て亡くなった人を見送る文化が定着していった。
 1878年に行われた大久保利通の葬儀では、黒の大礼服、黒ネクタイ、黒手袋を身につけることが命じられた、喪服が黒という文化を決定づけたのは1897年に行われた英照皇太后の葬儀であり、政府が発表した庶民向けの喪服は、和服、洋服にかかわらず何かしら黒いものを身につけるというものであった。
 このように黒に「喪の色」というイメージが強まったことから、鯨幕を使う場面にも変化が起きた。昭和初期あたりから民間の葬儀会社が白黒の鯨幕をお葬式で使うようになった。
 鯨幕が「おめでたくない幕」になったことから、おめでたい席では鯨幕の黒い部分を赤に変えた紅白幕が使用されるようになった。なぜ赤が選ばれたのかについては諸説があり、そのうちの3つは以下の通り。
  • 紅白まんじゅう説:室町時代に結婚式で配られたのが起源。もともとは「紅」は赤ちゃん、「白」は死という人生の終着点を意味しており「きょうから一生添い遂げられますように」という深い愛情を表現。これを参考にして紅白幕ができた。
  • 紅白同時に咲く梅説:1本の木から赤と白が同時に咲く梅があり、華やかな印象の紅梅と清純な印象の白梅が同じ木から同時に咲くため、一層おめでたいとされた。
  • 歌舞伎の幕説:歌舞伎で使われる横向きの紅白幕(段幕)が発祥かもしれない。段幕は華やかさを印象づけられる際に使われる。また明治時代に海外からのお客さんを迎えて伝統文化を披露する催しでも使用された。

 放送では紹介されていなかったが、ネット上では、
  • 源平合戦で源氏が白、平家が紅の旗を掲げて戦ったという歴史から、紅白を並べることでいさかいもなく平和に過ごせるとされおめでたい時に使われるようになった。
  • お祝いに赤飯を食べた。
などの説も出回っていた。
 ウィキペディアの「」の項目ではさまざまな幕が紹介されていたが由来については特に説明は無かった。
 なお以前、旭光幕(オープン幕)の由来を調べたことがあるが、よく分からなかった。

 ここからは私の感想・考察になるが、葬式の際に鯨幕を使ったり、黒いものを着用するという文化は、確かに明治以降に定着したものであるようだ。こちらによれば、韓国でも鯨幕が使用され葬儀の参列者は黒い喪服が一般的のようだが、白い服を着ている人も多いように思われる。中国の葬式(漢民族の場合)はかなり派手なものらしい。

 鯨幕が「おめでたくない色」、紅白幕が「めでたい色」となった背景には、「黒い」の語源が「くらい」、赤いの語源が「あかるい」であることも関係しているのかと思ったが、そのことを支持する情報は見つからなかった。




 最後の5.の「【おたよりご紹介】みんなより背が小さかったらどうするか」について、もとのおたよりは、9歳のさきちゃんからのもので、
私は、みんなよりせがひくいです。せの順4列だと1番目です。きゅう食のときに牛にゅうを全部のんでも、ずっとせがちいさいです。(127cm) 岡むらさん、チコちゃんはみんなよりせがちいさかったら、どうしますか!! おしえてください。
というものであった。
 岡村さん(身長156cm)は、逆に得になったこともあるとして「新幹線や新幹線の中で足を伸ばせる」を挙げていた。またチコちゃんからは「運動会では前のほうに並べるから、親御さん目線では撮影しやすい」、「騎馬戦だったら上に乗れる」などが挙げられた。ということで岡村さんは「コンプレックスと思わないほうがいい。ボクなんかこの身長だったからここに座っていられる。172やったらこんなとこにいてませんよ。...まだ大きうなる可能性もある」。チコちゃんからは「損して得とれ」ということわざがあるが「小にして得とれ」という精神で頑張ってもらいたい、という言葉があった。

 1998年2月10日の日記に書いたことがあるが、私自身は、高校時代、背が低いことで屈辱的な扱いを受けたことがあった。特に、フォークダンスの際に男子を相手に踊らされたことは人生最大の屈辱であり、その一点を持って体育教師への信頼は完全に断ち切られた。もちろん、男子生徒のほうが人数が多かったのだから、男女半々に揃えようとすると男子が余ることは分かっている。しかしだからといって、身長という物差しで差別するのは間違っていると思う。
 なお、当該の日記では、パイロットの身長制限のことが書かれていたが、再度調べてみると、現在では
旅客機のパイロットを目指す人が多く進学する航空大学校では、応募時の身体検査基準として身長163cm以上という条件をつけています。 また、自衛隊では、身長158cm以上190cm以下の身長でないとパイロットになれないと規定されています。
となっていて殆ど変わっていないようであった。もちろん、航空機の設計上、背の低い人や逆に高すぎる人では機器の操作がしにくいという問題はあるだろうが、機器の改善をすることで対処できる可能性があるように思う。パイロットを夢に見ているのに身長差別で実現できないというのは理不尽なことだと思う。

 ま、そうは言っても、大相撲の力士の身長制限とか、競馬の騎手の体重制限のように、一定の基準を設けることに合理性がある場合も少なくない。なので、私がもし相談にのった場合は、

●理不尽な身長差別を無くす必要はあるが、現実にはすべてを解消することはできない。なので、背の低い人のほうが活躍できるような場、もしくは身長による差別を受けない場を選んで努力をするほかはない。

としか、答えようがない。