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1月28日の夕刻、南西の空に月齢6.5の月と、木星、金星が輝いていた。 なおこの時期、ズィーティーエフ彗星(C/2022 E3)が6等前後で見えるということだったので、1月28日と29日の早朝に、北斗七星の柄杓部分とこぐま座コカブ(β星)の間を双眼鏡で探索してみたが、これまでのところ、たぶんこれだろうと思われる星雲状の光を見つけたものの、これが彗星であるという確信は持てなかった。毎日、宵と早朝に観察する予定だが、とにかく寒い。 |
【連載】チコちゃんに叱られる!「白濁豚骨ラーメンの由来」「エイエイオー」「流れ星に願いごと」 1月27日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は、
まず1.の豚骨ラーメンの由来については、放送では「杉野さんがいい人だったから」と説明された。九州のラーメンには博多ラーメン、熊本ラーメン、鹿児島ラーメンなどがあるが、その殆どが豚骨ベースとなっている。日本人が広く豚肉を食べるようになったのは明治時代以降であるが、琉球や薩摩では江戸時代からすでに豚肉の飼育が奨励されていた。今でも九州は日本有数の豚の産地になっている。とんこつラーメンが生まれたのは1937年、福岡・久留米の屋台「南京千両」が発祥とされている。店主の宮本時男さんは、当時関東で流行っていた中華ソバ(もともと鶏ガラベース)と長崎チャンポン(豚骨ベース)をヒントに豚骨ベースのラーメンを作った。当初のスープは茶色であったが、同じラーメン屋台「来々軒」を営んでいた杉野勝美さんの妻が火加減を間違えて強火でスープを煮込んだところ偶然に白いスープが生まれた。杉野さんがみんなに作り方を教えたため九州中に広まったという話であった。 とんこつラーメンの発祥についてはウィキペディアにもいくつかの説が紹介されており、放送内容と同様、1937年の宮本時男さんが最も古く、また有力とされている。また白濁豚骨スープについては久留米ラーメンの歴史のところに杉野勝美さんのエピソードが紹介されていた。また杉野さんの「来々軒」は現在は小倉北区にあるようだ。 なお、味噌ラーメンの起源についてはこちらにあり、1955年に大宮守人によって考案されたとされている。 次の2.の「エイエイオー」は戦国時代に起源があり、「戦う気はあるか」「戦う気はあるか」「もちろんです」が正解であるとされた。戦国時代以前は、戦の始まりである鬨の声(雄叫び)だけであったが、戦国時代になると一騎打ちのような個人戦から大人数の戦いとなり、一致団結のために「エイエイオー」が誕生した。本来の「エイエイオー」は、大将が「エイエイ」と言って、配下の兵士たちが「オー」と叫ぶことになっていた。大将の「エイ」は「戦う気はあるか」、兵士の「オー」は「もちろんです」とそれに応じる意味があった。上杉謙信の『北越軍談』に「曳々応」と記されているように、漢字では「エイ」は「曳」や「栄」と書かれ、「兵を引っ張る」や「国を栄えさせる」という意味がありここから「戦う気はあるか?」という問いかけに繋がっていた。いっぽう「オー」は「応じる」に由来している。 戦が無くなった江戸時代には「エイエイオー」は使われなくなった。その後戦国時代を描いた時代劇が放送されるようになると、観た人たちがそれを真似するようになって広まったと考えられる。 放送では篠原菊紀先生(公立諏訪東京理科大)が登場された。「エイエイオー」と叫ぶと頭頂連合野が刺激され、集中力にに関わる前頭前野と連動して集中力がアップする可能性があるというがまだ検証されていない。そこで放送では10〜70歳代の男女10人にストループテストが行われた。ストループテストでは文字の色を答えるが文字自体は別の色の漢字(例えば色の「赤」という文字)になっているため集中力が測られる。1秒間隔で20問が出題された。まず、テストの前に「エイエイオー」と叫んだ場合、10人中5人が正解、残りの被験者も11、16、16、18、19問正解であった。続いて、時間を置いてから「エイエイオー」と叫ばない場合で問題を変えてテストしたところ、正解数は9〜20問であり、10人中7人では正解数が減った。このことから「エイエイオー」は集中力を高めるのに一役買っていると示唆された。 なお、このストループテストであるが、より厳密に検証する場合は、被験者数をもっと増やした上で、半数には「エイエイオーあり」条件から先に実施、残りの半数は「エイエイー無し」条件から先に実施し、順序効果の影響を取り除く必要がある。 最後の3.の流れ星に願いごとをする理由については、放送では「神様がこちらをのぞいているときだから」と説明された。ヨーロッパの一部の地域の伝承では神様が地上を見る際に隙間から漏れた光が流れ星と考えられていたため星が光っている間に願いごとをすれば隙間から神様に届き叶えてくれるとされた。ユーラシア大陸に広く分布しているアルタイ系諸民族の間でも流れ星は神様がこちらをのぞいているとされていた。このように、流れ星が流れた時に願いごとをするという風習は世界各地に存在していたと考えられる。 しかし、昔の日本ではそこまでポジティブなイメージはなかった。室町時代以前の文献では戦など災いの予兆と考える記述が多数ある。その後天文学の発達もあって、流れ星を不吉なものだとする考え方が減少。そんななか海外の流れ星にお願いをする文化が日本に入ってきて定着した。明治時代の辞書には流れ星に願いごとをすれば叶うと書かれている。 流れ星に関する風習は全国各地にあるが、すでに途絶えて誰も聞いたことの無い言い伝えも多数存在するようだ。なお私自身は2001年11月18日〜19日にしし座流星群の流星雨を目撃したことがあったが、純粋な天文現象として捉えており、願い事をしようとは思わなかった。 |