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半田山植物園・温室のパフィオペディルム。我が家にも同じ品種(大型と小型の2種)があるが、株分けしなかったせいか、今年は今のところ開花していない。黄花種は1月18日に開花し、いまも萎れずに咲いている。
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【連載】チコちゃんに叱られる!「みりん」「皇居ランニング」 昨日に続いて、2月3日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
まず、2.の「みりん」は、「煮崩れを防ぐお酒」であると説明された。舘博先生(東京農大・名誉教授)&ナレーションは以下の通り。
みりんと言えば、今年の正月に、妻から、みりんを買ってきてくれと頼まれたことがあった。妻が指定したのは「米麹」、「本みりん」と明記されているものであり、ウォーキングコース沿いのドラッグストアで購入することができた。過去にみりんを買ったという記憶は全く無いので、おそらくこれが、私にとっては、古希にして人生初めての「みりん」購入となった。ラベルには「アルコール分12.5度以上13.5度未満」と記されており、放送で紹介されていた「アルコール分13.5度以上14.5未満」よりは低い。放送では「販売には免許が必要」とのことであったが、ドラッグストアでも免許を取得しているのであろう(というか、ドラッグストアでは大概、酒類も売っているようだ)。 最後の4.の「皇居ランニング」だが、皇居の周りのコースは一周約5km、1日1万人以上が走っているという。 皇居ランニングの由来については、放送では「銀座のホステスさんが走ったから」と説明された。橋本治郎先生(ランニング雑誌出版社・元社長)によれば、1964年の東京オリンピック(10月10日〜24日)の8日後の11月1日、銀座のクラブのママさん、ホステスさんが参加した皇居1周のマラソン大会が開かれた。主催者は銀座のクラブオーナー三次三郎さんで、開催の目的、ホステスさんの仕事がハードであり健康管理もなかなかできないことからマラソンで健康増進、さらに賞金を出すことでホステスさんたちに貢献したいということにあったという。その時の賞金は1等、2等、3等がそれぞれ5万、3万、1万円となっており、当時の大卒の初任給が約1万7000円であったことからみてかなりの高額であった。他にも参加賞としてブランドバッグや香水が用意され、賞金総額は70万円、現在の金額に換算するとおよそ300万円になったという。 ホステスさんたちは店が終わってから走る格好に着替えて銀座から20分ほど歩いて二重橋前に集合。スタートは午前1時40分であった。レースの前と後ろにはベンツ、最後尾には医者と看護師がついていた。優勝したのは「女アベベ」と呼ばれた、あけみさん(21)で記録は23分30秒で、2位に500m以上の差をつけたぶっちぎりの優勝であった。ホステスたちは全員完走したという。 なお、皇居の周りではそれ以前から大学の陸上部などが練習をしていたが、一般人には馴染みが無かったとされた。ホステスマラソンは、市民が開催したという点で「市民スポーツの始まり」であり、雑誌や新聞で紹介されたことから、その後、皇居周辺で働く人たちがマラソンクラブを作り、昼休みや仕事が終わってから皇居の周りを走るようになった。その後2007年から東京マラソンが開始されたことも、皇居ランナーは一層増えていったと説明された。 ここからは私の感想・考察になるが、1964年11月当時にホステスマラソンが行われ、そのことが広く紹介されたということは事実であるとは思うが、そのことと、現在の1万人規模の皇居ランニングとは直接関係が無いように思う。じっさい、いま皇居の周りを走っている人たちは、かつてホステスマラソンが行われたことは知らないし、そのことに触発されてジョギングを始めたわけでもない。 要するに、過去に注目を集めるようなイベントがあったということと、それが起源になったということは別物である。いま皇居ランニングが盛んになっているのは、おそらく、
なお念のためウィキペディアを閲覧したところ、
皇居ランニングは反時計回りが一般的とのことだが、理由はよく分からない。トラックが反時計回りになっていることと関係があるのだろうか。それとも皇居の自然が常に左視野に入ってくるほうが心地よいからなのか。 ちなみに私自身は、同じ日に皇居を一周したことはない。一般参賀のため半蔵門から二重橋前まで歩いたことがあるほか、科学技術館、東御苑から武道館のあたりも何度か歩いたことがあるが、千鳥ヶ淵から半蔵門の区間は歩いたという記憶が全く無い。 |