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雨上がり、コンクリートの壁に色鮮やかな小さな蛾がとまっていた。Google画像検索によれば『ベニヒメシャク』であると判明。幼虫の食草はまだ分かっていないという。 |
【連載】チコちゃんに叱られる!「身近な人が好きになる理由」についての胡散臭い説明 6月30日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
放送ではこのあと、実験が行われた。参加者は20代から50代の既婚女性6人であり、結婚相手との出会いは職場が5人、同級生が1人となっていた。実験では、パソコンの液晶ディスプレイ画面に、参加者の夫と「理想のタイプの人」を含めた写真計12枚を提示。夫と「理想のタイプの人」が表示された時はキーボードに設定された「嫌い」ボタンを、またそれ以外の人が表示された時には「好き」ボタンを押す。実験は写真の順番を変えて合計3試行繰り返され、ボタンを押すまでの平均タイムが比較された。この実験では好きなのに「嫌い」のボタンを押すことが要求されているが、これは自分の心にウソをつくことになり行動に対して脳が抵抗が生じるので反応潜時が長くなると予想された。 その結果、20代から30代の参加者では自分の夫に対するボタン押しのほうが長くかかったが、40歳代以上では夫よりも「憧れの人」に対するボタン押しのほうが長くなるという逆の傾向が見られた。このことについて藤井教授は「恋愛中枢が活発に働くのは3年ぐらいが期限。その後は他の人に興味が移りやすい状態になる」と説明された。 なお、最後のところでは「身近な人を好きになる理由については現在も研究が続けられているため諸説あります。」という断りが入れられていた【←であるなら、「諸説あるためよく分からない」と言えばいいものを】。 ここからは私の感想・考察になるが、まず解説者の藤井教授についてウィキペディアを閲覧したところ、 日本の臨床心理士。専門は臨床心理学。学位は、博士(人間科学)。明星大学教授。公認心理師として、都道府県スクールカウンセラーや都内総合病院心療内科・精神科の心理カウンセラーも務める。 秋田県秋田市生まれ。という立派な経歴をお持ちの方であることが分かった。また、事件、政治家、恋愛、スポーツ、囲碁・将棋、芸能・文化・風俗に関するコメンテーターとして、多くの番組に出演されているとのことであったが、私自身はそのような番組は全く視ないので、そういう有名な方であるとは全く存じ上げていなかった。 さて、本題に戻るが、まず私は、そもそも「もっといい人もいるだろうに身近な人を好きになるのはなぜ?」という疑問の立て方自体が間違っているように思う。人を好きになるというのは、現実場面でいろいろな人と接触する中で形成されるものであり、言語的・観念的な「いい人」というような理想が最初から存在しているわけではない。まして、テレビなどに登場するアイドルなどが理想になりうるはずはない。中には特定のアイドルの大ファンになって追っかけをする人もいるが、そのいっぽう、アイドルなどというのは創られた虚像に過ぎず、純情そうなアイドルは裏ではふしだらなことをしているとして興味を示さない人もいるだろう。なので後半に行われた実験は、当初の疑問を説明する上では全く役にたっていない。 ところで、「身近な人を選ぶか、それとも別の、もっといい人を追い求めるか」というのは心理学では「選択行動」というテーマで数多く研究されている。その中には、遅延価値割引の研究などもあり、形式上は似ているようにも思える。しかし、恋愛・結婚の場合は、
しかし、それよりも重要な点は、恋愛というのは特定の相手との交際を継続する中で作られていくものであって、目移りしている人は結局一度も恋愛を体験できないことになってしまう。行動分析学的にいえば、特定の相手との交際活動がより多く強化されていれば、他の相手に接する行動(目移り)は相対的に低下。いっぽう目移りばかりしている人は、特定相手との交際がうまく強化されていないということになる。【←交際がうまく行かなかった場合、『副側被蓋野』では手の打ちようが無いが、強化という視点でとらえれば、どういう行動が交際を妨げているか、どういう行動が欠けているのかを具体的に挙げることができるため改善に役立てることができる】 「恋は盲目」とか「あばたもえくぼ」というように、恋におちると相手の欠点や周囲を取り巻く困難な状況に目を向けられなくなってしまうことがあり、これは藤井教授もいわれていた『恋愛中枢』あるいはドーパミン放出の影響であろうと考えられる。しかしそれは一種の薬物依存状態と同じであり、この働きが「目移りしないように脳がコントロール」している状態と呼べるのかどうかは何とも言えない。この表現が使えるなら、喫煙、アルコール、覚せい剤などの依存もすべて「他の依存物質に目移りしないように脳がコントロールしているから」ということになってしまう。「コントロール」というのはある意味で実用的な概念であり、通常は「安定した有用な状態を保つための働き」であり、悪影響を及ぼすような作用まで「コントロール」とは呼べないように思う。【「マインドコントロール」というような使われ方もあるが】 人はみな欠点だらけであって、「理想的な相手」などというのは言語的に構成された虚像にすぎない。結婚相手に対しては、ジグソーパズルの最後の一片などとは思わず、 ●私はもともと欠点だらけのダメダメ人間であって、本来私と結婚してくれるような相手は現れなかったはず。にもかかわらず結婚してくれたことはそれだけでありがたいことだ。しかし、私のところに、完全無欠な理想的な相手が来るはずは無い。私の欠点の大きさに相応の、それなりの欠点を持っていて当然。相手の欠点はすなわち自分の欠点だらけに対応している。 というように悟った上で結婚生活を続けるべきであろう。 今回の藤井教授の『副側被蓋野』による説明は、「もっといい人もいるだろうに身近な人を好きになるのはなぜ?」という疑問ではなく「なぜ恋は盲目なのか」というような疑問に対してはある程度有効であり、問題設定をそのように変えるべきであったと思う。【但し、「盲目」というと視覚障害者差別につながる恐れがあるので、別の言葉に置き換えたほうがよさそう】。 |