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クマゼミが仰向けになってもがいていたので指を出してやった。じっとして離れなくなったので、指を振ると「ジッ」と鳴いて飛び去っていった。クマゼミを間近で見るのは7月6日に続いて2度目となる。 仰向けに転がっているセミを触ると突然飛び上がって突進してくることがある(『セミ爆弾』)。こちらによれば、死んだ蝉か『セミ爆弾』かは、脚が開いていれば「生」、閉じていれば「死」として見分けることができるという。 なお、「死んだ虫はなぜ毎回ひっくり返るのか?」についてはこちらの動画で解説されている。それによれば、
写真のように仰向けになってもがいているセミは、死期が近く自力では態勢を立て直すことができなくなったセミなのかもしれない。 |
【連載】チコちゃんに叱られる!「悩みが無いのが悩み」「流しそうめんのルーツ」 昨日に続いて、7月14日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
まず3.のみちょぱさんの相談事であるが、チコちゃん&岡本さんとの会話によれば、
念のためBingに、 ●タレントの池田美優さんは「悩みが無いのが悩み」だと発言されています。なぜ悩みが無いのでしょうか? と尋ねたところ、 タレントの池田美優さんは、自分に悩みが無いため、何も考えてない人と思われるのが悩みだと話されています。1 また、「自分に何かあっても、“なるようになる”精神なんで。割り切っちゃうから悩みまでいかない」とも話されています。2という回答をいただいたが、出典はどれも今回の『チコちゃん』の番組での発言であり、何らかのセラピー、あるいは哲学的背景に基づくものかどうかは確認できなかった。 この日記でも何度か取り上げたことがあるが、もともと「悩む」という反応は、「不安」などと共に外敵から身を守るために有益かつ適応的な反応であった。しかし現代社会では、過剰な悩み反応が生活の支障となることがある。 悩みに影響を受けないための最も有効な方法は、事実は事実として受け止めつつ、その事実によって生じる言語的反応を分離して、その起こり方をしっかりと観察することであると言われている。但しこれを実践するには論理的な理解だけでは不十分であり、マインドフルネスなどの手法に頼る必要がある。 もっとも私自身は、みちょぱさんほどではないにせよ、今のところこれといった悩みは抱えていない。あと10年も経てば、自分自身あるいは妻の健康問題、孫たちの進路選択などで悩み事がいっぱい出てくるかもしれないが、結局は、なるようにしかならない、としか考えようが無い。 最後の4.の「流しそうめん」の由来については、「日本人には水の味を楽しむ文化があるから」が正解であると説明された。放送によれば、かき氷、水ようかん、くずきりも水の味を楽しむものであり、また貴族の食べ物として、御飯に冷水をかけて水を味わいあんがら御飯を楽しむ『水飯(すいはん)』という食べ方もあった。流しそうめんもそうした文化の延長上で生まれたと説明された。日本人には、料理を、味ばかりでなく、音、食感、盛りつけ、香りという五感で食べる文化があるが、流しそうめんが発達した所は、風景がよい、滝の音がする、おいしい水がある、というように五感が完全に満足できるようになっている。放送では流しそうめんで有名な、宮崎県・高千穂峡、岐阜県・阿弥陀ヶ滝、鹿児島県・唐船峡が紹介された。 ここからは私の感想・考察になるが、放送では平安貴族の「水を味わう文化」と関連付けて説明されていたが、流しそうめん自体は平安時代からあったわけではなさそうだ。ウィキペディアによれば、素麺自体は 古代中国大陸の後漢の『釈名』や唐の文献に度々出てくる「索餅」が日本に伝わったものとする説が有力である。その他の説として、南北朝時代に元から禅僧の往来や貿易によって「索麺」が伝えられたものという説がある[1]。室町時代には現在の形になったとされ、「そうめん」が初めて記録されるのは素麺の初見は康永2年(1343年)八坂神社の『祇園執行日記』で「丹波素麺公事免除」と記述されている。さらに、奈良の法隆寺の『嘉元記』正平7年(1352年)5月10日条に、僧兵の快賢が南北朝の合戦に参加した恩賞の宴に「サウメマ」が振舞われていて、このころ「素麺」の名称が定着したとされる。というように歴史は古いが、流しそうめんに関しては、 昭和30年(1955年)に創業した宮崎県西臼杵郡高千穂町の高千穂峡にあるお茶屋『千穂の家』が、店頭に「昭和参拾年創業 元祖流しそうめん」と掲げており、商業化発祥の店とされている。ちなみに、昭和37年に創業した岐阜県郡上市の阿弥陀ケ滝荘も『元祖流しそうめん発祥の地』という石碑を設置し発祥地を謳っている。というようにいずれも戦後の発祥であり、平安貴族の食文化とは直接関係なさそうである。なお、ウィキペディアによると「流しそうめん」とは別に「そうめん流し」という呼称もあり、その由来については、 『回転式そうめん流し器』という、円卓テーブル上を円環する樋に、水圧で水流を起こし素麺を流して、箸ですくい食べる装置を用い、めんつゆ等に付けて食べる。前述されている流し素麺に対し、こちらはそうめん流しの名で親しまれており、この装置によるそうめん流しは、昭和37年(1962年)に創業した鹿児島県指宿市唐船峡の『指宿市営 唐船峡そうめん流し』が発祥で、特に鹿児島県内各地では「そうめん流し」の名を冠した飲食店や観光施設が多数営業している。という記述があった。ということで、「流しそうめん」や「そうめん流し」が五感を楽しむ文化の1つであることは確かであるが、平安貴族の食文化とは連続性がなく、それをルーツと見なすのはこじつけに過ぎないように思われた。 |