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【連載】ヒューマニエンス「整理整頓」(3)整理整頓の起源 昨日に続いて、8月7日に初回放送された、NHK『ヒューマニエンス』、 ●“整理整頓” それはヒトの本能なのか についてのメモと感想。 放送では続いて、「それは定住とともに始まった」と題して、人類における整理整頓の歴史が語られた。 松木武彦さん(国立歴史民俗博物館)によれば、そもそもホモ・サピエンスが整理整頓を始めたのはごく最近のことだという。
断続的に2000年以上ヒトが暮らしていたという千葉県・加曽利貝塚には、貝殻などのゴミの厚い地層がある。ここでは貝殻などは穴を掘って埋めるのではなく、上へ上へと積み上げられていった。集落の周りは高さ2メートルを超える貝塚で取り囲まれ、白く光る丘のように見えた。これは豊かさのシンボルとなった可能性がある。集落ではゴミなどの整理整頓が必要不可欠であり、それが共同体の結びつきを強くし、共同体の規模も大きくしていった。それとともに整理整頓のルールは厳密になり、文明を加速させていく原動力になったと説明された。 スタジオに登場した西野雅人さん(千葉県埋蔵文化財センター)によれば、貝塚を積み上げる風習は、縄文時代中期ごろの一時期だけに限られており、穴を掘って貝殻を埋めるのが一般的であった。なぜこの時期かと言えば、縄文時代中期ごろ(約5000年前)は、東京湾を中心に大きな村が40数個できた。それを支えたのは貝などの豊富な海産物であった。 縄文時代後期から関東地方中心に、複数の人を一箇所に埋葬する『集団墓』が出現するようになった。谷口康浩さん(國學院大學)によれば、これは縄文人たちが死後の世界などの概念を共有していった証しであるという。儀礼や祭祀を通じて実践することで社会のメンバーがそれを共有していく。生活世界の秩序を形作る意味での整理整頓が絶対に必要だったと指摘された。 西野さんによれば、当時の大きな村にはいろんな場所から集まってきた人たちが住んでおり、集団墓で別々のルーツを持った集団が協力関係を築こうとしていた可能性がある。 ここからは私の感想になるが、貝殻を集落の周りに積み上げたり、集団墓を作ったりという風習は、確かに形式上は『整理整頓』の現れであるようにも見える。しかし、
しばしばエントロピー増大の法則に喩えられるように、日常生活では ●「物事は放っておくと乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい、自発的に元に戻ることはない」 ということが必然であり、それに抗う行為が整理整頓であるとも言える【『エントロピー増大の法則』の正しい理解については2022年2月6日の日記参照】。 但し、大地に降り注いだ雨が小さな川や池を作り、さらには地下水が湧き上がることでまた別の川となり、最終的に一本の大河となることも形式上は整理整頓と言えないこともない。このほか、ガラス瓶の中にいろいろなサイズの砂粒を入れてかき混ぜていくと、粒の大きさによって分離された層になるが、これも形式上は整理整頓である。なので、形式上の類似性だけからいろいろと話題を集めてきても、体系的な理解にはつながらない。ということで、上掲の貝塚や集団墓の例は、整理整頓行動の期限とはあまり関係がないように思われた。 ちなみに、人間以外の動物の中には、排泄の場所(トイレ)が決まっているものもいる(もちろん、ところ構わず垂れ流す動物もいる)。これはおそらく、縄張りを守ったり天敵から襲われないための行動であるが、これまた形式上は整理整頓と似ている。ま、一般論として、エサなどをため込む場合は、秩序だって保管しておいたほうが良いに決まっている。またヒトの場合は、道具や武器を使用する上では整理整頓されていたほうが必要な時にすぐに取り出せるという利便性が高まる。その利便性によって強化されることで、徐々に整理整頓行動が形成されていったと考えるべきであろう。 次回に続く。 |