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【連載】ヒューマニエンス「整理整頓」(6)未来の整理整頓 昨日に続いて、8月7日に初回放送された、NHK『ヒューマニエンス』、 ●“整理整頓” それはヒトの本能なのか についてのメモと感想。今回で最終回。 放送の終わりのところでは、「未来の整理整頓はどうなる?」と題して、 ●外部記憶装置などテクノロジーの進化で整理整頓の仕方は変わる? というトークが行われた。 まずは、織田さんからすでにメモ機能、カレンダーのお知らせ機能など、現代のテクノロジーをフル活用しているという話があった。続いて稲垣えみ子さんからは、情報をすべて外部記憶に頼れるようになると、整理整頓しなくてもそれらを取り出すことができる、つまり「整理整頓を放棄していい時代」がスタートした、という発言があった。坂上雅道さんからは、 ChatGPTはまさにその方向に行こうとしている、しかし大量のデータを持ってくることで情報処理が平均化する方向に行ってしまう、これは、いいか悪いかは別として、生物は平均化を嫌うという方向とは異なる。そもそも我々の幸福とは何か、人類の進歩とは何か、を真面目に考えないと、先にコンピュータのほうで決められてしまうことになる。と語られた。 藤井彩子アナからは「整理整頓は生き方の選択。未来に向かって生きていきたいなあと思うから過去とはちょっとずつ決別していろんな物を処分したいなあと思いました。」という感想が述べられた。 ここからは私の感想・考察になるが、すでに述べたように、テクノロジーの進歩によって、情報収集やその整理整頓の仕方が大きく変わってきたことは確かである。パソコンが登場する前、私は、読了文献の要旨、何かの着想、有益情報、英語表現などを京大式カードに書き込んで分類整理していたものだが、今ではこれらはすべてパソコンの外部記憶装置に置き換えている。 撮影した写真も膨大な量にのぼる。いまでは鮮明な動画も保存できる。このことによって、過去の体験はもはや遠い思い出ではなく、たった今撮影したかのようなリアルさを持って再現できる。そのことが良いかどうかは分からない。人によっては過去に撮影した動画ばかりを見ることで、「今を生きる」のではなく、「過去と融合した今を生きる」生活になってしまう可能性がある。 ChatGPTの活用が「平均化」をもたらすかどうかは何とも言えない。あらゆる人から提供された大量のデータを頻度だけを基準に取り出していけばそういう恐れはあると思うが、将来的にAIが自分自身の集めたデータだけに基づいてその人の体験を整理したり、考えたことの矛盾点や発展的思考をアドバイスできるようになれば、より個性的な自分を創り上げることができるかもしれない。 ということで今回の内容はこれで終了。連載1回目でも述べたように、今回の放送内容は、 という印象があった。放送内容についての要望としては以下のような点が挙げられる。
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