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8月25日付けの楽天版に、チョウトンボを接写した写真を掲載したところであるが、8月26日には、今度は正面からの接写に成功。この睡蓮池には現在2〜3匹のチョウトンボが飛び交っているが、接写させて貰えるのはそのうちの1匹で、同一個体と思われる。3個の単眼、翅の付け根や脚に生えている毛をハッキリ写すことができた。 |
【連載】チコちゃんに叱られる! 「船の底が赤い理由」「スターの由来と『一俳優一作品主義』」 昨日に続いて、8月25日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。今回は以下の3つの話題が取り上げられた。本日は残りの2.と3.について考察する。
まず2.の大型船の下が赤い理由については、放送では「速く走るため」が正解であると説明された。船の底にフジツボなどの海洋生物がくっつくと燃費が悪くなってしまう。そこで船の底に亜酸化銅という赤い物質を塗る。この塗料の表面から銅イオンが溶けることでフジツボは近づかなくなるという。海洋生物の付着を防ぐ物質としてはもっと有効なものもあるが、海洋汚染を招くため禁止されているという。但し、塗料は定期的に塗り直さなければならない。放送では造船所で大型フェリー『フェリーふくおか』の底を塗り直す様子が紹介された。 放送では『亜酸化銅』と紹介されていたが、ウィキペディアでは酸化銅(I)(さんかどう いち)という名称になっていた。理由は不明だが、この酸化銅(I))は、乾燥空気中で安定であるが湿った空気中では徐々に酸化され酸化銅(II)に変わるという。なお銅が錆びると、緑青が発生するが、緑青は様々な銅塩の混合物であり酸化銅とは別物であるようだ。ちなみに、私が子どもの頃は緑青は猛毒であると教えられていた(こちらの記事参照)。 大型フェリーの塗り直し作業で1つ疑問に思ったのは、ドックに入れた時点で船の底は枕木のような物の上に乗せられていたこと。この「枕木」に密着している部分は塗り残しになるのではないかと思われるのだがどうやって塗っているのだろうか?枕木部分をずらして塗っているのだろうか、それとも隙間から塗料を注入しているのだろうか。 余談だが、この話題の冒頭シーンで、東京台場・船の科学館に係留されている『宗谷』の前でインタビューをしているところがあった。『宗谷』は出航前々日の1958年11月10日に見学したことがあり思い出深い船である。 最後の3.の「スター」については、放送では「コスパがよかったから」が正解であると説明された。 放送によれば、「スター」という言葉は中世のヨーロッパで生まれた。語源を調べてみると、「ラテン語のことわざで星を“手の届かない目標”」という意味で使われていたり、イタリア語の語源由来辞典では「困難の中で導き方向づけ慰めをもたらす誘導者」というように、当初はエンタメ的な人気者ではなく、社会において目立つ存在であった哲学者のヴォルテールやマリー・アントワネットのようなどがスターと呼ばれていたという。 その後、1820年代のアメリカの演劇界で切実な事情が生じた。1800年代までの演劇では30〜40人の俳優を雇い、40週を1クールとして同じ場所・同じ演目で客を集めていた。より多くの客を集めるためには地方を回ったほうがいいのだが、移動費がかかりすぎた。そこで、コスパ対策として、有名俳優をスターと固定し、残りの俳優は巡業先の地方ごとに調達するというスターシステムが誕生した。看板スターを作ることによるメリットとしては、1つのポスターが使い回せること、ファンがつきやすく客が増えることなどが挙げられる。 1895年に映画が誕生した当初、人々は俳優ではなく映画の技術のほうに注目し、俳優の名前はクレジットされなかった。しかし1910年に映画俳優で初めて名前を知られるスターが誕生する。それが当時全く無名だったフローレンス・ローレンスであった。彼女はウソの死亡記事を流され、世間に注目された。その記事が嘘であるという記事が一面に掲載されたことで俳優に興味を持つようになり映画の宣伝にもなった。他の映画会社も看板スターを押し出すようになり多くのスターが誕生した。 リンク先でも指摘されているように、スターシステムにはメリットとデメリットがある。私はかねてより「一原作一感動主義」、「一俳優一作品主義」に徹しており、1人の俳優がいろいろな作品に登場することは好まない。関連記事が以下にある。
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