じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 半田山植物園・温室内のキンカチャ。花期は11月〜3月らしいが、過去日記を調べたところ、この木の場合は1月下旬から2月上旬に開花した記録が多かった。


2024年1月21日(日)




【連載】チコちゃんに叱られる! 「お刺身」「大判焼き」「画びょう」「ホワイトボードの文字が消える理由」

 昨日に続いて、1月19日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は残りの3.と4.について考察する。
  1. なぜ人の家のニオイは気になる?
  2. 冷たいことをなぜ「冷たい」と言う?
  3. 【CO2削減のコーナー】自分、東京に魂売ったんとちゃうかクイズ
  4. なぜホワイトボードに書いた文字は消える?
という4つの話題が取り上げられた。本日はこのうちの1.と2.について考察する。

 まず3.の企画は、東京と大阪で呼び方が異なる食品(料理)3件が取り上げられた。私自身は高校卒業までは東京、そのあとは、京都、長崎、岡山というようにずっと西日本に住んでいるので、両方の呼び方はだいたい知っていた。
  1. 【東京】お刺身vs【大阪】お造り
    もともとは『鱠』として食べていたが、室町時代に醤油が誕生し、刺身を厚く切って食べるようになった。その後戦国時代になり、大阪では「身を刺す」料理は縁起が悪いとのことで「料理を作る」という意味の『お造り』になったという。
    京都に住み始めた頃は『お造り定食』の意味が分からなかった。もっとも値段が高いので滅多に口にすることはなかったが。
     なお、うなぎの身を開いて調理する際、関東風は背中に包丁を入れる「背開き」、関西風はお腹側から包丁を入れる「腹開き」が一般的であり、武士が多かった江戸(関東)では切腹を連想させる腹開きは縁起が悪いことから「背開き」になったという説がある。であるならば、『刺身』は大阪、『お造り』のほうが武士の多い江戸で広まるはずで、なぜ逆になったのかは謎である。


  2. 【東京】大判焼き、今川焼き vs 【大阪】回転焼き
    『回転焼き』はもともとこのお菓子を焼く道具が円形で回転していたことに由来。『大判焼き』は、昭和30年頃、愛媛の器具メーカーが愛媛を舞台にして大ヒットした『大番』(獅子文六)にあやかって一回りサイズを大きくした『大判』の焼き機と材料をセットで売り出したことに由来。その影響で全国に広まった。『今川焼き』は江戸の今川橋付近(現在の神田)で売られていたことに由来。
    東京で生まれ育った頃はもっぱら『今川焼き』であった。その後、西日本各地ではもっぱら『大判焼き』を耳にしており、『今川焼き』では通じにくいことから私自身も『大判焼き』と呼ぶようになった。『回転焼き』という呼び方は聞いたことがあるものの殆ど使われていないように思われる。
     放送ではそれぞれの由来は紹介されたが、大阪でなぜ『大判焼き』ではなく『回転焼き』が広まったのかについては何も説明されなかった。


  3. 【東京】画びょう vs 【大阪】押しピン
     東京では、手でつかむところが円盤型のものを『画びょう』、ダルマ型や丸い形のものを『ピン』と呼ぶことが多いが、大阪では両方とも『押しピン』と呼ばれる。もともと海外から輸入されていたが、明治30年代に関西の大手の輸入業者が『押しピン』という名前で売っていたことが関西での呼び方に影響を与えた。
    東京に住んでいた頃はもっぱら『画びょう』と呼んでいた。円盤型のものを『押しピン』と呼ぶのには今でも違和感がある。





 最後の4.のチコちゃんが「なぜホワイトボードに書いた文字は消える?」については、「文字が浮いているから」が正解であると説明された。
 放送によれば、ホワイトボードは約60年前にアメリカで開発された。日本ではパイロットがライセンスをとって独自に研究し1966年に独自に発売した。明治以降、教室では黒板とチョークが使われていたが、ホワイトボードは「ペンで描いた文字が消える」、「手がチョークの粉で汚れない」といった点で注目された。しかし発売当初は、文字がちゃんと消えないといったクレームが続出した。その後、最初の発売から8年かけて現在のインクに改良された。

 現在のホワイトボード用のインクは油性マーカーのインクを素にしている。油井マーカーは、溶剤(アルコール)、着色剤、特殊樹脂から構成されており、このうちの特殊樹脂が接着剤の役目をしており、板面と着色剤がくっつくため消えない。いっぽうホワイトボードの場合は、この3つのほかに剥離剤が加えられており文字を浮かせている。ホワイトボード用マーカーでに文字を書くと、油井マーカーと同じように約15秒でアルコールが蒸発するが、剥離剤と特殊樹脂が互いに反発し合う。剥離剤は着色剤とくっついた特殊樹脂を包み込むため、板面と文字の間には剥離剤の膜ができて文字は浮いている状態になる。これをボード消しでこすることで拭き取られて文字が消える。

 放送ではさらに、ホワイトボードに誤って油性マーカーで書かれた文字の上をホワイトボード用マーカーで塗りつぶすと消すことができることが実演された。特殊樹脂で消えにくくなった文字が新たに加えられた剥離剤の効果で拭き取れるようになるためであった。このことは今回初めて知った。
 このほか、小さなホワイトボードに文字や図形を繋がるように描いて水に浸すと、文字・図形がホワイトボードから離れて浮遊するようなるという現象も紹介された。

 ここからは私の感想・考察になるが、ホワイトボードが本格的に普及したのはどうやら1966+8=1974年であり、私が大学3回生の頃であったようだ。当然、大学での講義や演習はもっぱら黒板とチョークが使われていた。当時は受動喫煙の危険性が理解されていなかったため、中には、片手でチョーク、もう片方でタバコを持って講義をする教授もあり、稀にタバコと間違えてチョークを口に銜えようとして笑いを誘っていたりした。
 私自身が講義を担当するようになってからも、教室の設備としては黒板が主体であり、ホワイトボードを使うことは小教室での演習に限られていた。チョークで黒板に書くのは手が汚れるばかりでなく、粉がノートパソコンなどの機器に降りかかるなどの弊害があり、ホワイトボードのほうが利用しやすかったものの、しばしばインク切れとなり、教務のカウンターまで新しいマーカーを受け取りに戻ることもしばしばあった。
 もっとも、パワーポイントで教材作成ができるようになると、ホワイトボードよりもスクリーンを使うことのほうが多くなった。今では、タブレットを大きくしたような電子黒板も少しずつ普及しているはずだ。