じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 大相撲初場所千秋楽は、横綱・照ノ富士と関脇・琴ノ若の優勝決定戦で大いに盛り上がったが、「これより三役」の1つ前の取組で、小結・宇良が『伝え反り』という珍しい決まり手で竜電に勝ち、場内を沸かせた。 ウィキペディアによれば、『伝え反り』は、
2000年に決まり手に制定されて以降、幕内では3度この決まり手が記録されており、2002年9月場所3日目で朝青龍が貴ノ浪に、2022年9月場所4日目で宇良が宝富士に、2024年1月場所千秋楽で宇良が竜電に、それぞれこの技を決めている。また、十両では2度記録されており、2006年3月場所12日目で里山が琉鵬に、2007年11月場所10日目で里山が栃乃花に、それぞれ決めている。このときは同じような体勢で上体をそらし、トリノオリンピックで金メダルを獲得したフィギュアスケート選手の荒川静香の得意技に掛けて、「イナバウアー」ともてはやされた。



2024年1月29日(月)




【連載】チコちゃんに叱られる! 「ミュージカルの歴史」「飛行機の窓」

 昨日に続いて、1月26日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
  1. ミュージカルが突然歌いだすのはなぜ?
  2. 人がうわさ話が好きなのはなぜ?
  3. 飛行機の窓が丸いのはなぜ?
という3つの話題のうち、残りの1.と3.について考察する。

 まず、1.のミュージカルについては、放送では「昔は歌を楽しむものでお芝居はどうでもよかったから」が正解であると説明された。なおこのクイズには大竹さんが正解したため、洗面台にある『オーバーフロー』の名前を当てる追加クイズが出題された。

 元の話題に戻るが、宮本直美さん(立命館大学)によれば、ミュージカルはオペラが起源であり、以下のような変遷があった。
  1. オペラは16世紀ごろにイタリアで誕生した音楽劇。
  2. 貴族向けの格式の高いオペラは歌のみだったが、庶民向けオペラはセリフがあり突然歌になる。
  3. オペラで作品の聞かせどころとなる歌をアリアという。当時の観客はアリアが楽しみだったので突然歌い出すことは気にならず芝居は添えものだった。
  4. 19世紀になると、ストーリー性のある庶民向けオペラの中から流行のダンスなどを取り入れたより娯楽性の高いオペレッタがヨーロッパで生まれ今のミュージカルに大きな影響を与えた。
  5. いっぽう、19世紀後半のアメリカでは演劇、マジック、歌、ダンスなどの出し物が披露される『ボードビル』というショーがあり、その中からヒットソングで集客するミュージカル・コメディーが誕生した。
  6. 初期のミュージカル・コメディーはストーリー性のないもので突然歌うことは当たり前だった。ヒットソングで集客することが目的だったので、ストーリーはそもそも無かったか、どうでもいいという感じだった。
  7. 1920年代に、アメリカの作家たちの中にからストーリーを重視する動きが出てきた。ヨーロッパのオペレッタが注目されたが、ヨーロッパ上流階級のラブストーリーはアメリカ人には馴染まなかった。そこで、アメリカに馴染み深い社会問題を含んだストーリー重視の新しいミュージカル「ショウ・ボート」が1927年に上演された。これらは新ジャンル「ミュジカル・プレイ」と呼ばれ現在のミュージカルが誕生した。
  8. その後、ストーリーを重視した『オクラホマ!』(1943)、『南太平洋』(1949)、『王様と私』(1951)などが作られ、今なお数多く上演されている。これらは新ジャンル『ミュージカル・プレイ』と呼ばれた。これが現在の『ミュージカル』。
  9. 突然歌うことを和らげるため、歌とセリフの境目を工夫し、セリフ途中から前奏を始める、地声で歌う、歌が終わると次のセリフとの境目に後奏を入れるといったミュージカルが増えていった。
  10. 昔の観客はアリアのできが良いと口笛や大きな拍手をし、できが悪いとブーイングをする現在のサッカーのような楽しみ方をしていた。
 以上が放送の説明であったが、私自身はミュージカルは一度も観たことが無いし、仮に招待されても退屈で居眠りをしそうで、あまり関心の持てない話題であった。もっとも『オズの魔法使』(1939)や『メリー・ポピンズ』など、ミュージカル映画は何本も観たことがある。また、子どもの頃に映画館まで観に行ったディズニーのアニメも途中で歌が入っていたが、突然歌い出すからといって特に違和感は無かった。




 最後の3.の飛行機の窓については、「四角い窓だと飛行機が空中分解してしまうから」と説明された。鈴木真二さん(東京大学)によれば、
  1. バスや建物の窓は四角い。これに対して飛行機の窓が丸いのは1949年に初飛行した世界初のジェットエンジン旅客機「コメット」がきかっけ。
  2. 1954年にコメットが立て続けに2度空中分解して墜落する事故が発生し社会問題に。当時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルが資金と人員を惜しまず徹底調査せよと声明を出す事態に。
  3. 海に沈んだパーツを回収して詳しく調査した結果、機内に高い圧力がかかり天井部の小窓に亀裂が入って空中分解したことが推測された。
  4. じっさいに大きな水槽にコメットを沈めて高度一万メートルと同じ圧力を再現したところ、当初は5万4000回の飛行が可能であると設計されていたはずが、3060回相当の飛行回数、当初の17分の1以下で亀裂が発生することが分かった。その原因は四角い窓。コメット以前のプロペラ機は四角い窓が主流だったが、1万メートル以上の高さを飛ぶジェット機では機内に圧力をかけることで窓の角に大きな負担がかかり亀裂が発生することから丸い形になった。じっさいのシミュレーション実験でもそのことが確認された。
 以上が放送内容であったが、過去日記を検索したところ1960年の羽田空港の写真に、たぶん四角形と思われる窓をつけたプロペラ機が写っていることが確認できた。当時は飛行機は高級な乗り物であり到底乗ることはできなかったが、私が学生の頃になると多少お金を出せば体験できるようになった。こちらの記事にもあるように、当時はジェット機に乗ると『ジェット特別料金』が加算されていた。片道大人600円とはいえ、当時の物価から言えばかなりの負担であった。
 なおこちらの記事によると、大阪・羽田間のジェット特別料金は1962年に新設、1998年に廃止となっていた。