【連載】ヒューマニエンス「“死の迎え方” ヒトの穏やかな死とは」 (3)リボゾームRNA遺伝子、臓器の重さ
2月16日に続いて、2月13日に再放送された、NHK『ヒューマニエンス』、
●「“死の迎え方” ヒトの穏やかな死とは」
についてのメモと感想。
放送では続いて「老いはヒトだけが手に入れた期間であり、死へ向かうための宿命である」という話題が取り上げられた。
スタジオゲストでもある小林武彦さん(東京大学)&ナレーションによれば、によれば、老化の1つの大きな原因は幹細胞の老化にある。
- 幹細胞は新しい細胞を作り出すので、その能力が低下すると細胞の数も減ってくるし、臓器の活動も低下してきて最終的には死んでしまう。
- 【ナレーション】私たちの体の細胞は、大きく、幹細胞と体細胞に分けられる。幹細胞は分裂を繰り返し絶えず新しい体細胞を供給する新陳代謝の要。このおかげで古い体細胞が取り除かれても細胞の数は一定に保たれている。ところがこの幹細胞が老化し分裂する能力が失われると、当然、新陳代謝が滞る。すると私たちの体はおのずと衰え、死へと向かっていく。
- 幹細胞の老化には『リボソームRNA遺伝子』の損傷が大きくかかわっている。リボゾームRNA遺伝子は同じ配列がたくさん並んでいるので、例えば空からくる紫外線だとか あるいは細胞の中で作られる活性酸素だとか、そういうような物質に非常に弱くなるという壊れやすい場所になっている。
- 【ナレーション】リボゾームRNA遺伝子はゲノムのなかでひときわ大きな領域を占めている。ここから作られるのがリボソームであり、細胞の維持に欠かせないタンパク質を合成する大切な役割を担っている。ところがこの遺伝子は同じ配列が続くため構造が弱く、紫外線などで変異が入りやすい。するとリボソームが正常に作られず、タンパク質の合成ができなくなってしまう。
- 【ナレーション】小林さんの研究室では、若齢マウスと高齢マウスを比較し、高齢マウスだけにある遺伝子の変異をつきとめた。次に幹細胞のモデルとなる酵母菌に高齢マウスだけにある遺伝子を組み込んだ。すると、酵母菌の寿命は普通の酵母菌よりも寿命が短くなっていることが確認された。これをヒトの体の幹細胞に置き換えると、幹細胞が老化が早まり分裂が滞り、組織の細胞の数がどんどん減少し、全身のさまざまな臓器が萎縮していく。さらに至る所に老化した細胞が居座ってしまう。
- 【ナレーション】居座った老化細胞は『炎症性サイトカイン』を撒き散らす。これが周囲の細胞をさらに老化させ臓器の機能を低下させていく。こうした老化は個人差があるものの、鋭を取るにつれて必ず進行する。そして私たちはおのずと老いて、死へと向かっていく。
多細胞生物は基本的にいつも細胞が入れ替わっているので、細胞の新陳代謝が衰えて老化する仕組み自体はヒトでもそれ以外の動物でも変わらない。なお、20〜30歳を100%とした時の臓器の重さを75歳時と100歳以上で比較すると【男性の場合。グラフの目盛りからの大ざっぱな読み取り】、
- 心臓は、75歳時、100歳以上いずれでも100〜105%
- 肺(右)は75歳時で100%、100歳以上で90%
- 脳は75歳時で88%、100歳時で80%
- 腎臓(右)は75歳時で90%、100歳時で62%
- 肝臓は75歳時で70%、100歳時で50%
- 脾臓は75歳時で70%、100歳時で48%
などとなっていて、心臓以外、特に腎臓、肝臓、脾臓では著しい低下が見られる。先に示された老衰に伴うBMIの低下にも、こうした臓器の重量の低下が反映していると考えられる。
リボゾームRNA遺伝子は設計図であるため、壊れてくると癌などをつくる変な遺伝子になってしまう。それを避けるためにその細胞を老化させて取り除く仕組みが働く。
前回も記したように、世界の最長寿記録はフランスのジャンヌ・カルマンさん(1875-1997)という女性で122歳で亡くなっている。ギネスが認定した長寿記録で120歳を超えているのは彼女1人だけであり、彼女の死後26年経ってもこの記録は更新されていない。そこに寿命の壁がある。
ここからは私の感想・考察になるが、『死』や『老化』については過去のヒューマニエンスでも取り上げられており、
というように私のWeb日記でもそのつど感想・考察を述べさせていただいた。なので、ここまでの放送内容についてはあまり目新しいものは感じられなかった。
もっとも、これまでの2テーマ、特に『老化』の回では「老化を治療する」(抗老化医療)の話題が取り上げられていたのに対して、今回は『“死の迎え方” ヒトの穏やかな死とは』というタイトルに示されているように、『死』をナチュラルなプロセスであるととらえ、ソフトランディングの道筋を模索するという内容になっていた。
ま、現実の問題として、健康寿命を延ばす努力は必要であるとはいえ、それはあくまで「死亡年齢マイナス健康寿命」という年数をできるだけ短くするために必要なのであって、単純に死亡年齢=寿命を延ばすことはあまり意味が無いと思っている。もっとも、死を穏やかに迎えるためには、まずは死が必然であることを十分に理解しておく必要はあるだろう。私も70歳を過ぎたあたりから、有効期限つきの切符を持って人生を旅しているような感覚をようやく実感できるようになってきた。
次回に続く。
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