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岡山は用水路が多いことで知られており、その総延長は岡山市だけでおよそ4000km、倉敷市でも2000kmに達すると言われている。しかし、ガードパイプなどの安全対策が施されている用水路は岡山市では90kmにすぎない。すべて対策をとると約580億円かかるという【岡山市の新年度当初予算案は総額3856億円】。 こちらの記事にあるように、用水路への転落事故は毎年40〜80件起こっており、死亡者も毎年20〜30人前後にのぼるというから恐ろしい。最近では市内の大学生たちが授業の一環としてデータを分析し注意チラシを作成したという。 写真は、御野小学校近くの用水路。普段は水が少ないので落ちても溺れる危険は少ないが、転落の際に頭を打つなどの怪我で重傷を負う可能性はかなり大きい。 |
【連載】ヒューマニエンス「“死の迎え方” ヒトの穏やかな死とは」 (5)がん患者の心的外傷後成長 昨日に続いて、2月13日に再放送された、NHK『ヒューマニエンス』、 ●「“死の迎え方” ヒトの穏やかな死とは」 についてのメモと感想。 放送では、老衰に関する話題に続いて、がん患者の心のケアの問題が取り上げられた。スタジオゲストとして清水研さん(がん研究会有明病院)が出演された。 清水さんは「死と向き合うことは心を成長させる一面がある」と指摘された。
清水さんは、がん告知後に5人に1人ぐらいがうつ状態になるとか、自殺率が増えるといったことが繰り返し報告されており、専門的な心のケアが必要であると述べておられた。 がんになった人の中には、なぜ自分が病気にならないといけないのか?という怒りや、10年後にこうしたいという夢が叶わなくなったという大きな喪失がもたらす悲しみにあけくれる人もいるが、そこにフタをする必要はないし、怒りや悲しみが無くなる必要も必ずしもないが、どこかでそういう感情が収まってきて、「人生すべてを失ったわけではない。大切な1日がある」と考える人もいる。じっさいに行われた調査では、乳がんの患者の8割ではPTGに該当する考え方が確認されたという結果がある。但し、PTGと苦しみは裏返しになっていて、8割の人が皆ポジティブな気持ちになっているわけでは無い。多くの人は、がんになって決して良かったとは思えない、但し一方で病気にならなければ気づけなかったことがある、と述べておられるという。PTGの基本は本人の心の中で自然に動いていくものであり、カウンセリングで誘導されてそうなるわけではないが、社会の温かいまなざしがあることも関連している。 ここからは私の感想・考察になるが、老衰による死とがんによる死の一番の違いは、死亡年齢にあるのではないかと思う。個体差はあるが、老衰は概ね90歳以降で必然的に起こるもので「なぜ自分だけ老衰になるのか?」と怒ったり、「110歳までにこうしたいと思っていた夢が叶わなくなった」と悲しむ人はまず居ない。これにたいしてがんのほうは、小児がんから始まりあらゆる年齢層でかかる病気であり、若ければ若いほど、怒りや悲しみが生じるのは当然かと思う。 PTGのきっかけとなる辛い出来事に対しては、
ちなみに私自身は現時点ではまだ人生に未練があるが、80歳を超えて生きながらえた時には、がんの告知を受けたとしても、単純に老衰が始まったとしても、それらは死のプロセスの一形態に過ぎず、なるようにしかならないと受け入れるようになるのではないかと思っている。 なお、がん患者としての素直な心情を綴ったブログとして海保博之先生の『心の風景 認知体験』があった【2021年8月15日の日記参照】。私自身は、死の何日前までWeb日記を書き続けられるだろうか。いずれにせよ私の場合は、PTGではなく、「すべてを受け入れて、静かに消える」という形になっていくものと思われる。 次回に続く。 |