【連載】チコちゃんに叱られる! 床に落ちた髪の毛についての胡散臭い説明/調味料の「少々」
昨日に続いて、3月8日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、以下の5つの話題のうち、4.と5.について考察する。
- 硬貨が古くなると光らなくなるのはなぜ?
- 万華鏡が出来たのはなぜ?
- 【CO2削減のコーナー】全種類見る!キツネ20種類
- 床に落ちた髪の毛が「汚いもの」に見えるのはなぜ?
- 【お便りコーナー】調味料の少々の量が分からなくて困ります。なぜ具体的に量を言わないの?
まず、4.の「床に落ちた髪の毛が「汚いもの」に見えるのはなぜ?」については、放送では「あるべきところにないものだから。」が正解であると説明された。
人間の生活や行動の文化を研究している【←うまく聞き取れず】浮ヶ谷幸代さん(相模女子大学)&ナレーションによる説明は以下の通り。
- 髪の毛が本来あるべきところは頭。
- 髪の毛は自分の体から離れたとたん、微妙な存在になる。髪の毛が落ちた瞬間、「頭には無いけれども、さっきまでは自分のものだったし」と、自分のものなのか自分のものではないのか曖昧でどっちつかずの微妙な存在になる。
- 頭の中でうまく仕分けることができない微妙な存在は人を不安にさせる。
- 人間はあるべきところにあるべきものがあると、「いつもどおり」であると安心する。つまり、日常を脅かすものではないと判断している。
- 【ナレーション】髪の毛があるべき頭にある時は安心。しかし床に落ちた瞬間、微妙な存在になって不安を感じてしまう。
- さらに人間はあるべきところにないものを見ると異変を感じ「日常を壊すかもしれない」と認識するので、そわそわして落ち着かない不安な状態になる。その結果、汚い、気持ち悪い、居心地が悪いなどとネガティブに感じ無意識に遠ざけようとする。
- 爪も指の先にあるうちは何も思わないが、切り落とされて落ちていると汚いものに見える。
- 自分のだ液も、口から吐かれたとたん、普通は汚いものや気持ち悪いものに感じる。
以上の説明を検証するため、放送では、次のような「実験」が行われた。
- スタッフが使用するキーボードの上にアジを置く。何も知らずに出勤してきたスタッフは「えっ?」、「何で?」と驚いた。
- トートバッグに生のイカを入れておく。何も知らずに受け取ったスタッフは、「おっ」、「こわっ」、と反応した。
- いずれのスタッフも、調理されてお皿に載せたアジやイカは美味しそうに食べていた。
さらにスタジオで、出演者のあばれる君と塚原愛アナの立ち位置を交代してもらったところ、別段「汚い」雰囲気にはならなかったが、不安になることは「実証」された。
放送内容は以上であったが、上掲の「説明」には納得できない点があった。
- 上掲のアジやイカの実験のように、あるべきところにないものを見た時に驚くことは確かにあるとは思う。しかし、床に落ちた髪の毛にはそれほどの意外性はない。室内を掃除すれば髪の毛の何本かは落ちている。木々の花びらや葉っぱがいずれ枝から落ちるのと同様、髪の毛は「頭にあるべきもの」ではなく、「頭に生えているがじきに抜け落ちるもの」ではないか?
- 「人間はあるべきところにないものを見ると異変を感じ「汚い、気持ち悪い、居心地が悪いなどとネガティブに感じる」と説明されていたが、であるならば、あばれる君と塚原愛アナの立ち位置を交代した時にも、「汚い」や「気持ち悪い」という感情が生じるはず。要するに、「汚い」というような感情がどのような条件のもとで生じたり生じなかったりするのかについては何も説明されていない。
- 「人間はあるべきところにあるべきものがあると、「いつもどおり」であると安心する。」というが、トイレの便器にオシッコやウンチがついていれば、やはり汚いとは思う。尿検査の時にはコップに尿を入れて提出するが、尿がその場所に置かれているからといって、いつも通りであると安心することはない。
では、以上に代わるどのような説明が可能なのか?ということになるが、それ以前の問題として、そもそも床に落ちた髪の毛をどの程度汚いものとして感じるのか、ちゃんと検証しておく必要があるように思う。少なくとも私個人は、特別に汚いものだと感じたことはない。もちろん、食堂で提供される料理の中に髪の毛が入っていれば汚いとは感じるが、1本の髪の毛を見つけただけでその料理を作り直せとクレームをつけるほど嫌がることはない。また、車内の混雑時に周りの人の髪の毛に接触することがあるが、頭に生えているからといって、服に付着している髪の毛に比べて特別に衛生的だと感じることもない。ハグをする人たちはずいぶん不衛生なことをしているとも思う。
ということで、床に落ちた髪の毛を汚いものだと感じるかどうかにはかなりの個体差があるし、理髪店とか大相撲の断髪式などのように、文脈ににょっても感じ方が変わってくるのではないかと思われる。
だ液が自分のからだの外に出た瞬間から汚いものと感じられるようになる理由については、以前にも「自己と他者の境界」に関する考察としていくつか耳にしたことがあった。ネットでざっと検索したところ、こちら【京都文教大学】に、
Laing(1971 / 1979)も、口の中の唾を飲み込むことは容易であるのに、一度吐き出した唾を飲むことは非常に不快に感じることを例に挙げ、「口の中の唾と、口から 1 インチ外にある同じ唾に違いのあること」を我々は知っており、「われわれは、自分自身を、皮膚の袋の内側にいると感じています。この袋の外にあるものは、非われわれです。
というような記述があった。
なお、自分が吐き出した唾を汚いと感じる理由についてBingに尋ねたところ、
唾液は私たちの体にとって非常に重要な分泌物であり、さまざまな役割を果たしています。しかし、吐き出した瞬間に汚いと感じるのはなぜでしょうか?
- **心理的要因**:
- 唾液は食物の消化や口内の清潔を保つために必要ですが、吐き出す瞬間には不潔な感じがすることがあります。これは心理的な側面で、吐く行為自体が不快感を引き起こすことが影響しています。
- **文化的・社会的要因**:
- 社会的な規範や文化的な背景も影響します。吐くことは一般的にはタブー視されており、不潔な行為として認識されていることがあります。
- **感覚的要因**:
- 唾液は口内で潤滑剤として働いているため、その感触は特有です。吐き出す瞬間には、この感覚が強調され、不快感を引き起こすことがあります。
総じて、唾液は体にとって重要な役割を果たしているものの、吐く行為やその感触が不快であるため、汚いと感じることがあるのかもしれません。
という回答をいただいた。
人間の体から外に出されたものは、人間にとっては不要な排泄物のほか細菌やウイルスを含んでいる恐れがある。なので、性行為などを除けば、可能な限り不快で汚いものとして遠ざける習慣を形成することが、適応上理に適っているのであろう。またそれらを汚いものだと感じるのは、単なるレスポンデント条件づけによるものではなく、おそらく関係フレーム理論で言う『刺激機能の変換』が大きく働いているものと推察される。
最後の5.の「調味料の少々」については、料理研究家の渡辺あきこさんからの情報が伝えられた。
- 「少々」は親指・人さし指の2本の指でつまんだ量。
- 塩にすると約1.25〜1.5g。小さじ約4分の1。
- 岩塩のようなゴツゴツした塩とサラサラの塩では差が出る。また火加減・器具の材質など、全く同じ条件では難しいなどの理由から「最終的には味をみて調整してください」という意味で、敢えて「少々」と表現されている。
|