【連載】チコちゃんに叱られる! 「パジャマの由来」「水あかの正体」「鍾乳洞」
昨日の続き。岡山で5月4日(土)に初回放送【全国では4月5日初回放送】された表記の番組についての感想・考察。本日は、
- なぜ鳥は朝によく鳴く?
- パジャマってなに?
- 水あかってなに?
という3つの話題のうち、残りの2.と3.について考察する。
まず、2.のパジャマの由来については、放送では、正解は「インド人のズボン」であると説明された。
朝日真さん(文化服装学院)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
- パジャマはもともとインドやその周辺国で着られていた民族服のズボンのことを指す。それをヒンディー語でパジャマと呼んでいた。
- もともとは「脚の服」を意味する『パイジャマ』というペルシャ語からきたもの。
- この番組でお馴染みのヨギさん(『江戸川印度文化センター』を開設)にインドのパジャマを見せてもらった。
- ズボンを簡単に縫っているようなものでウエストはひもで留めている。
- 通常はこれにクルタと呼ばれるシャツをセットにして着ることが多い。
- 会社で働く人や学校の先生も着る普段着。
- 普段着から冠婚葬祭用のものもあり幅広く活用される。
- インド人は寝るときもパジャマで夜は別のパジャマに着替える。
- インドでは「パジャマ=寝巻き」という意味は通らない。暗くなって「パジャマに着替えなさい」と言われるような文脈であれば意味は通る。
- インドのパジャマが寝間着としてのパジャマになったのは、1880年代頃、インドに駐留していたイギリス人がパジャマを着たところ「寝るときに楽だ」ということで世界に広まったといわれている。
- ヨーロッパにも男女兼用のワンピース型の寝巻き「シュミーズ・ド・ニュイ」があったが上流階級の人々が使っていただけで、庶民は昼夜で服を着替える習慣が定着しておらず多くの人が下着や裸で寝ていた。
- そんな状況の中でイギリス人がインドから持ち帰ったパジャマが広まった。
当時のパジャマは木綿やシルクでできていたので肌触りがよくヨーロッパの人も気持ちがいいということになったようだ。
- その後パジャマはゆったりとして動きやすい上下セットの形が主流となり主に男性用の寝巻きとして、イギリスからアメリカを通して世界に広まった。
- 1920年代に女性のパンツスタイルの登場とともに女性もパジャマを着るように。
- さらに1934年にアメリカ映画『或る夜の出来事』で女性が男性用パジャマを着たシーンが話題となりより多くの人にパジャマが広がった。
- 日本でパジャマが普及し始めたのは戦後。それまで多くの人がゆかたを寝巻きにしていたが修学旅行や家族以外との旅行のためによそ行きの寝巻きとしてパジャマを着る人が増えていった。
- さらに1980年代後半のトレンディードラマ『抱きしめたい!』。友人同士で風呂上がりにパジャマを着ておしゃべりをする生活スタイルに憧れる女性が続出したという。
- しかし80年代にジャージやスウェットといったスポーツカジュアルが登場しそれらを寝巻きにする人が増加。
- 下着メーカーが実施したアンケート【ワコール『睡眠に関するアンケート調査』2023年】でも、寝る時の服装は、
- 夏:Tシャツ・短パン43.6%、パジャマ28.4%、ルームウェアのみ9.8%、下着のみ9.0%、スウェット・ジャージ6.2%
- 冬:パジャマ43.0%、スウェット・ジャージ35.8%、ルームウェアのみ10.6%、Tシャツ・短パン5.2%、下着のみ2.8%
というように、「パジャマを着て寝ている」と答えた人は夏場で全体の約3割、冬場でも4割にとどまっている。
- パジャマメーカーはシェア回復のためさまざまな工夫をこらしている。放送では「着るだけで疲れがとれたり肩こりの改善などに効果がある」とされる天然鉱石入りの生地の「疲労回復パジャマ」や、ポケットにデバイスを装着して自分の睡眠の質をチェックできるパジャマが紹介された。
- パジャマが上下セットになった理由はわかっていないがもともとヨーロッパにあったワンピース型の寝巻きの下にインドのズボンを履いたところから現代のパジャマの形ができたのかもしれない。
ここからは私の感想・考察になるが、今回の放送でパジャマの由来についてはほぼ理解できた。もっとも、1980年代後半に、いっぽうでは「1980年代後半のトレンディードラマ『抱きしめたい!』。友人同士で風呂上がりにパジャマを着ておしゃべりをする生活スタイルに憧れる女性が続出した。」とパジャマ利用が増えたような説明があり、他方では「80年代にジャージやスウェットといったスポーツカジュアルが登場しそれらを寝巻きにする人が増加」と説明されている点が矛盾しているようにも思われる。もちろん、全体の中で、パジャマとスポーツカジュアルの両方の比率が増えることはありうるが。
ちなみに、私自身はパジャマは着用せず、下着のみで寝ている。私の場合、毎日お風呂に入ったあとで、上下とも新しい下着を着用し、翌日起きたあともそのまま着用し、またまた風呂上がりに新しい下着に取り替えるというパターンを繰り返している。この習慣であれば、下着を毎日取り替えているので衛生的。もしパジャマを着用したとなると、何日かに1回はパジャマを洗濯しなければならず、このほうが非衛生的ではないかという気がする。そもそもパジャマを利用している人は、何日くらいのサイクルで洗濯しているのだろうか。
最後の3.の水あかの正体については、放送では「地面からの贈り物」が正解であると説明された。水や土壌の研究をしている堀まゆみさん(東京大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
- 水あかは五大栄養素のひとつであるミネラルが固まったもの。
- 水道水にはカルシウムやマグネシウムなどのミネラルが含まれている。鏡などに付着した水道水はしばらくすると水分は蒸発するがカルシウムやマグネシウムはその場に残る。
- さらに空気中の二酸化炭素と結びつき固まったものが水あか。
- 水道水にミネラルが含まれているのは、水道水の源が雨や雪が河川に流れたり地下にしみこんだしたものであるから。川や地下を通る間に地面と触れることで雨水にミネラルが溶け出す。
- 東京・渋谷区のNHK放送センター食堂の水道水のミネラルの量は79.2mg/L。
- 雨水のミネラルの量は0.818でミネラルがほとんど含まれていない。雨水は川などを流れる間に地面からの贈り物であるミネラルたっぷりの水になる。その後浄水場でろ過して消毒をお行う。このとき体に害がないカルシウム・マグネシウムなどはそのまま残される。
- ミネラルウォーターの成分表にある「硬度」とは水1L中に溶けているカルシウムとマグネシウムをあらわした数値。
- 硬度が低いのが軟水、高いのが硬水。
- 軟水はコーヒーや炊飯などに向いている。
- 硬水はカレーやパスタなどに向いている。
- 日本の平均的は約49。
- ミネラルの量は地質や地形などが関係しているため地域によって異なる。堀さんの研究チームが2019年から全国約1500か所の水を調査したところ、関東地方は硬度が高く【埼玉と千葉は80mg/L以上】、山間部は硬度が低かった。関東地方は水源となる利根川の流域面積が広いことや火山灰が積もった地層の関東ローム層が理由。関東地方は水あかができやすい。
放送ではさらに、「は鍾乳洞は水あかと同じ炭酸カルシウムから出来ているため“究極の水あか”とも言える」として堀先生オススメの鍾乳洞が3箇所紹介された。
- 山口県の秋芳洞:必見なのが百枚皿。秋芳洞の水の硬度は約160。
- 岩手県の龍泉洞:世界でも有数の透明度を誇る地底湖。
- 東京の日原鍾乳洞:1m伸びるのに約1万3000年かかる石筍がある。水の硬度は150。
このほか、鍾乳洞付近はおいしい湧き水があるので食堂でおいしい蕎麦が食られること、また水あかはアルカリ性のため酸性洗剤で中和され落ちやすくなることなどが紹介された。
ここからは私の感想・考察になるが、私は水あかの主成分は水道管のサビが水に溶けたものだと思っていた。もっとも水道管の管種はいろいろあり、かつては有害な鉛管も多く使われていたようである。今でも、長期間使用していない蛇口から赤さびが出ることから、何かしら融け出ているのではないかと思われる。
放送で紹介された全国の水道水の平均硬度分布地図によると、私の住む岡山県はおおむね20〜40mg/Lとなっていて関東南部の半分程度であるようだ。もっとも我が家では、妻のこだわりから、雄町の冷泉と同等の水質の水を汲みに行くことがある。こちらは、「マンガン及びその化合物が水道水質基準を超えて検出されています。」とのことで少々気になっている。
もう1つ、水あかに関連して鍾乳洞が紹介されていたが、これは少々飛躍があるように思われた。鍾乳洞ができるためには、二酸化炭素を含む弱酸性の雨水や地下水による侵食(溶食)が必要であり、それによって炭酸カルシウムを多量に含む水が洞内で固まったのが石筍などになると理解している。なので一般的な水あかとは成分が異なるし、浴槽を洗わないままにしておくと鍾乳洞のようになるわけでもないと思う。
ちなみに私は小学生の頃から鍾乳洞が好きで、上掲の3鍾乳洞のほか、当時は公開されていた奥多摩地域の鍾乳洞、大学時代は滋賀県内、さらに岡山県内の観光洞(いまは閉鎖されたものを含む)、秋吉台のいくつかの鍾乳洞などを観光したことがあった。
私自身がオススメの鍾乳洞と言えば、やはり、ポストイナであり、これはもう規模が桁違いに大きい。このほか、規模は小さいがツチボタルの神秘的な輝きが美しいワイトモも印象に残っている。規模は大したことはないが、高所にある鍾乳洞としてサン・ペドロ鍾乳洞(ボリビア)というのもあった。
アメリカや中国、東南アジアなどにはさらに規模の大きな鍾乳洞があるようだが、残念ながら私自身の人生では訪れることは困難。
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