じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 胡蝶蘭を4鉢育てているが、夏場はベランダ、冬場は室内の窓際でそれなりに手厚く育てているものの1年目のように花をたくさんつけることはない。今年は今のところ4鉢中3鉢が開花したが、それぞれ数輪程度にとどまっている。写真の株は昨年5月と同じもので、今年が2年目。


2024年6月25日(火)




【連載】チコちゃんに叱られる!「とことんの語源」 

 昨日に続いて、6月21日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
  1. 甘エビが甘いのはなぜ?
  2. 夏はなぜ暑い?
  3. 「とことんやる」の「とことん」ってなに?
という3つの話題のうち最後の3.について考察する。

 『トコトン』は放送では「日本舞踊の足拍子」が正解であると説明された。今野真二さん(清泉女子大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. 『とことん』は最後の最後、徹底的にという意味で、足拍子のこと。
  2. 足拍子は日本舞踊の踊り方の一つで舞台を足で踏み鳴らすこと。
  3. 「とん」は「トントン」や「トントントン」という音。「とこ」は3回連続で足を踏む時に「トントントン」に変えて「ト・コ・トン」と表現されるようになったと言われている。
  4. 『とことん』は江戸時代頃になると日本舞踊以外でも使用されていたが、当時は特別な意味をもたない『はやしことば』だった。
  5. はやしことばは歌や踊りの合間にいれる言葉で、ソーランやエッサなど意味はないが全体を活気づける役割をもっていた。
  6. 江戸時代の後期にかかれた『東海道中膝栗毛』には旅での宴会のシーンで「トコトントコトンとはやしてててくれっしゃい」という記述があり、この時代には『とことん』が庶民の間ではやしことばとして使われていたことが分かる。但し、はやしことばなので特別な意味は無かった。
  7. 『とことん』が今の意味になったのは明治元年につくられた『トコトンヤレ節』。トコトンヤレ節は日本初の軍歌と言われ、その中で新政府軍を鼓舞する内容の歌詞やタイトルに「トコトンヤレ」という言葉が使用されていた。この歌詞の「トコトン」や「ヤレ」ははやしことばなので特別の意味は無かった。しかし大流行していろんな人が聴いていくうちに勝手に解釈されていった。トコトンヤレのヤレが徹底的にやれと伝わり、さらに1番から6番まで全ての締めくくりがトコトンヤレ トンヤレナだったため、「徹底的に戦え」+「最後の最後まで」という解釈になり、現在の意味になっていったと言われている。
  8. 「トコトンヤレ節」からおよそ50年後に書かれた里見クの『大道無門』(1926年)には「何事もとことんまで落ち込んで行った」というように「最後の最後まで」といった意味で書かれていた。
  9. こうした言葉の意味が変化することはよくある。『お茶の子さいさい』は簡単なこと、簡単にできるという意味だが、「さいさい」ははやしことば。「お茶の子」はお茶に添えて出されるお菓子。簡単に食べることができることから転じてお茶の子が簡単にできるという意味になり、のちにより軽快に物事をこなす表現としてさいさいがつけられたと言われる。
  10. 数年前に流行した『よいちょまる』(いい感じ・幸せなどを表す若者ことば)も現代のはやしことばのようなもの。
 放送ではさらに、日本舞踊の練習場で、実際に舞台で足を踏みならす場面が紹介された。

 ここからは私の感想・考察になるが、語源由来辞典にも上掲と同様な解説があった。「トコトン」の「トコ」は「床」が語源であるという説もあるが「トコトン」全体が擬音であるとも考えられるという。
 上掲の解説どおり、現代の意味に転じたのは『とことんやれ節(宮さん宮さん、トコトンヤレ節、トンヤレ節)』で、作詞は品川弥二郎、作曲は大村益次郎(もしくは祇園の芸妓・中西君尾)とされているが確証はないという。

> ところで、チコちゃんの番組では定期的に登場する語源に関する話題が取り上げられているが、生物現象や物理現象の仕組みに比べると私にはあまり興味が持てない話題である。そもそも時代が変われば言葉も変わる。それぞれの時代にはその時代固有の事物があり、それらを分類同定したり関係づけたりする手段として言葉が使われる。それらは、古い言葉を転用したり複数の言葉の一部を組み合わせた新語として使われたりする。いずれにせよ、時代が変われば言葉も変わる。語源がどうあれ、今の時代に合わせて正確に使われていればそれでよいと思う。
 ま、そうは言っても、言葉の使い方には世代も反映する。私はかなり保守的なほうで、ら抜き言葉は絶対に使わないし、肯定的な意味で「やばい」が使われたり、「めちゃくちゃ美味しい」といった程度表現には常に違和感を感じている【私が視る番組では『ポツンと一軒家』などで、二言目には「めちゃくちゃ」や「めっちゃ」が使われている】。