じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 ベランダの風蘭(富貴蘭)開花。2006年2007年にも開花記録あり。一番古い写真は2002年に撮影しており、23年連続の開花となる。



2024年7月1日(月)




【小さな話題】2024年6月の「じぶん更新」を点検する:「塔頂体験」「音響信号機の鳴き交わし方式」「コンビニの閉店と関心空間」「そろそろ終活」

 月単位で「じぶん更新」状況を点検する、という、2023年1月からの新企画。

 まず、日々の生活の持続の指標の1つであるウォーキングの歩数は、総歩数224195歩、1日あたり平均で7473歩となり、目安としている1日平均7000歩以上を上回った。
 半田山植物園への合計入園回数は20回【1月からの累計で13回】となった。岡山市から外に出たのは、明石海峡大橋ブリッジワールド 人生初、生涯一度の塔頂体験であり、年間の貴重体験ランキングでも上位になりそうな経験となった。

 6月と言えば梅雨であるが、今年は梅雨入りが6月22日頃で平年の6月6日頃より大幅に遅れたものの、梅雨入り後は雨や曇りの日が続き、今のところ「梅雨の中休み」は起こらず、しっかりと雨が降る傾向がある。なお、6月の合計降水量は235ミリとなり平年値の169.3ミリを大きく上回った。毎月の平年値を上回ったのは2月以降5カ月連続となっている。




 新たに経験したこと、新たに知ったこと、といった意味での「じぶん更新」は以下の通り。
  • 音響信号機の鳥の鳴き声と、乙女の祈りと、盲導犬ロボット
    交差点の音響信号機で「カッコウ、カカコウ、...」と「ピヨ、ピヨピヨ」で東西方向と南北方向(もしくは主道路、従道路)で使い分けていることは以前から知っていたが、渡る地点と到着地点で同じ音を交互に鳴らし音が打ち消されないようにすることで進む方向を分かりやすくした『同種鳴き交わし方式』や『異種鳴き交わし方式』が採用されていることは初めて知った。


  • 人生初、生涯一度の明石海峡大橋塔頂体験
     上にも述べたが、これは今月いちばんの貴重な体験であった。当日の日記にも記したように、最近では高精細の旅動画が多数公開されており、わざわざ出かけなくても居ながらにして旅気分を味わうことができる。しかし、他者が撮影した動画をいくら視聴しても、海抜289mの塔頂にじっさいに立って眼下の景色を眺めるという直接体験に代えることはできない。これは皆既日食、活発なオーロラ、巨大彗星、流星雨についても同様。


  • 理髪店とコンビニの閉店
     岡大周辺の風景は、ときたまウォーキングをしている限りでは殆ど変わらないように見えるが、周辺の田んぼが宅地化したり、廃屋が学生アパートに建て替えられたり、といった小さな変化には気づくことがある。
     もっとも理髪店やコンビニの閉店は、自分が利用していないこともあってなかなか気づきにくい。法界院駅最寄りのローソンなどは、少なくとも週に1〜3回は店の前を通っていたにもかかわらず、閉店以来50日間もそれに気づかなかった。リンク先に記したように、私たちは身の回りの環境のすべてに目を配っているわけではない。環境世界の中から、自分にかかわりのある部分だけを切り取って見ているだけである。自分にかかわりのない存在は、よほどの変化が無い限りは目にとまることはない。存在していないのと同じことだ。コンビニを殆ど利用しない私にとっては最初から無かったようなものである。


  • そろそろ終活:お墓と葬儀について思うこと
     日本人男性の健康寿命の平均値まであと1年半となり、そろそろ先のことを考えなければならない時期になってきた。もっとも私は揺るぎのない無神論なので、自分自身が死後にどうなるかということは全く考えたこともないし今後もそのつもりはない【「死は自分の基盤となる生命機能の終了であってそれ以上でもそれ以下でもない」ということ】。なので、私自身の課題は、死に向かって各種機能が減衰、崩壊していく中で、どのように自分を「構成」、「解釈」していくのかということ。あくまで「構成」や「解釈」なので、現実世界にどっぷり浸かって「今を生きる」ことだけが唯一の人生ではないと考えている。もっとも、既存の哲学や宗教にすがるつもりはないし、自身が教祖となって「複素数空間教」を広めるわけでもない。かなりちゃらんぽらんなものになることは確実だが、それも、「多様な自分の併存」であって別段悪いとは思わない。
     自分の死に方について想定されるのは、
    1. 事故や急性疾患による突然死
    2. 特定の不治の病にかかり、病気の進行・苦痛に耐えながら死を迎える
    3. 複数の病気が同時に進行し、個別の対症療法では手に負えなくなり消滅する
    4. 認知症が進み、過去や未来が融合し、身の回りの人たちとの関係も不明瞭になるなかで、自分の位置づけが分からないまま消滅する
    といったところかと思う。
     このうち1.は何の準備もできないが可能な限り防ぎたいとは思う。またそうなった時に未練が残らないように身辺整理を進めていく必要がある。2.や3.は、自分である程度「秒読み」ができる死に方であるが、じっさいにそうなった時、苦痛に耐えられるかどうか【←というか耐えられるうちはまだ生きている】は何とも言えない。あるいは、武士のような覚悟を身につければよいのかもしれない。4.も、なってみなければ分からないが、すべてが謎めいた世界になっていくのかもしれない。