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半田山植物園で見つけたニイニイゼミ。桜の幹の低い位置で鳴いていた。動画も撮れたので、YouTube動画のセミコレクションに追加する予定。 |
【連載】千の顔をもつ英雄(2)ヒーローズ・ジャーニー 昨日に続いて、NHK-Eテレで7月1日に初回放送された、『100分de名著』: ●キャンベル“千の顔をもつ英雄” (1)神話の基本構造・行きて帰りし物語 昨日の日記でも述べたように、キャンベルは、 ●神話の基本構造は、反時計回りの円により図示されていた。12時の位置から始まり、9時の位置が「X:出立、旅立ち」、6時の位置が「Y:試練」、「Z:帰還」というプロセスをたどる。 という『モノミス=単一神話論<英雄の旅>』の概念を打ち立てた。ウィキペディアによればもう少し広い概念として『ヒーローズ・ジャーニー』があり、リンク先では、 物語論と比較神話学において、ヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)、または単一神話(モノミス、神話の原形、原質神話)は世界中の多くの民話や神話に共通する、主人公が日常から何らかの非日常に遷移し最大の試練を乗り越え宝を持って再び日常へ帰還する通過儀礼の構造である。と定義されてり、キャンベル独自のアイデアではないようだ。さらに、リンク先の続きでは、 キャンベルの英雄冒険神話(monomyth)研究などはプロフェッショナルな民俗学者(アカデミックなフォークロア)とは名乗れないものだと言われている。キャンベルの「英雄の旅」はむしろ映画のシナリオ作りの理論として応用可能性・普遍性が評価されている。 昨日も述べたように、私自身は『英雄の旅』の構造は、語り手が提供するストーリーとそれに対する話し手の反応の相互作用(強化)によって、つまらない部分は切り捨てられ、面白い逸話は付け足されることで、結果として完成されたようなものであると思っている。なので、その形成過程は、恋愛ものでも、笑い話でも変わらない。英雄ものだけが「自己に従って現在のうちに生成を続ける自我のモデルとしての象徴」として特別視すべきものではないように思う。では、なぜ『英雄の旅』は類似するのか?ということだが、私自身は、
不定期ながら次回に続く。 |