じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 7月9日の夕刻、岡山で雷雨があった。17時から18時までの1時間雨量は17.5ミリで、この時間帯のアメダス降水量ランキングでトップとなった。
 この日の最高気温は34.3℃(15時20分)であったが、雷雨により17時57分には25.4℃まで低下。これがこの日の最低気温となった。



2024年7月10日(水)




【連載】千の顔をもつ英雄(3)冒険への召命

 7月4日に続いて、NHK-Eテレ『100分de名著』:

キャンベル“千の顔をもつ英雄” (1)神話の基本構造・行きて帰りし物語

のメモと感想。ただしこのWeb日記では、高齢世代でも「冒険」に旅立つことができるか?についても考察する。

 まず先に高齢世代の「冒険」については以下のような可能性が考えられる。
  1. (元気な段階で)海外旅行を通じて非日常世界を楽しむ。
  2. (比較的元気な段階で)映画やRPGを楽しむ。
  3. 宗教活動にのめり込む。
  4. 病院に入院し(出立)、手術を受け(試練)、退院する(帰還)。
  5. 病院に入院したが、生死をさまよったあげく(臨死体験)、あの世に旅立つ。
 ちなみに私自身の場合、
  • これまでは上記1.を楽しんできたが、昨今の円安で旅行資金の確保が難しくなったことと、もはや長時間の移動や滞在中の苦痛に耐えてまで旅行に出かける年齢ではなくなったことから、現時点ではこの先の旅行は全く予定していない。
  • 3.については、私は無宗教で一貫しており、のめり込む可能性は全く無い。但し、無宗教者であっても、瞑想や巡礼の意義はあると思っている。
ということで、今後の「冒険」としては、上記2.と4.が考えられる。5.の臨死体験はいずれやってくると思われるが、定義上その中身を報告することはできないので、その時になってみなければ分からない。

 元の話題に戻るが、放送第2回では、以下のように、英雄の旅の出立の段階が詳しく取り上げられた。
  1. 冒険への召命
  2. 召命の拒否
  3. 助力者(メンター)の登場
  4. 日常世界の境界を越えて未知の世界へ


 多くの場合、出立前の主人公は現実の生活に退屈している。そこに何かしら冒険への合図(お告げ)が突然訪れる。これは明確な場合もあれば、予想もしない形で何かしらのサインとしてくる場合もある。いっぽう主人公は、お告げに応じてすぐに冒険に出ようという場合もあれば、時には覚悟が決まらずに迷ったり葛藤したりする場合もある。【一例として『スターウォーズ』が挙げられていたが、残念ながら私は『スターウォーズ』は一度も観ていない。但し『ロードオブザリング』に置き換えて考えることはできる。『ゴータマ・シッダールタ』についてはあらすじしか知らない。】

 放送ではここで、『醜いカエルと王女様』のような、召命が小さな失敗から始まる事例についてキャンベルの言葉を引用していた。
どう見ても偶然としか思えない失敗が予想外の世界を見せ、その人は正しく理解できない力との関わりに引っ張り込まれる。フロイトによると、失敗というのは偶然の産物ではない。それは抑圧された願望と葛藤の結果である。思いがけなく現れた泉が生み出す、人生の表面に立つさざ波だ。(中略) 失敗は運命の入り口といっていいだろう。
 RPGなどでは必ずしも「失敗」が始まりにはならないが、起業家が悔しさや屈辱が原体験となって逆にチャレンジができるという話もある。より肯定的に捉えるならば「失敗が出発の合図 冒険のスタート」ということになる。しかし今のネットの時代では、自分の好きな情報や最適化された情報を見てしまう傾向があり、日々心地のよい環境で生活しやすい、逆に言えば生活に変化が入りにくい時代になっていると指摘された。伊集院さんからも「苦労すらも自分で選ばなければならない時代なので、きっかけが掴みにくい」とコメントされた。
 指南役の佐宗邦威さん(戦略デザイナー、多摩美術大学)は、そういう意味で現代社会では、文字通りの「旅」に出ることがいちばんやりやすいと述べておられた。もっともこれは日程の固定されたツアーではなく、予定を定めずその場に行ってみることで生まれる偶然に出会う旅であるという。

 ここでいったん私の感想・考察を述べさせていただくが、私がイマイチ納得できないのは、出立前の日常世界と、「日常世界の境界を越えて未知の世界へ」という時の冒険の世界との関係である。失敗をきっかけとしたチャレンジとか予定を定めない旅というのは、未知の要素が多いとはいえ、しょせん同じ現実世界の中での身の置き方の違いのようなものだ。いっぽう、『オズの魔法使い』のドロシーや『千と千尋の神隠し』の千尋の冒険は日常とは全く別世界で起こる冒険である。ま、私が挙げた「高齢世代の冒険」にも、「現実世界の中での身の置き方の転換」と「非現実の仮想世界での冒険」が混在しており、曖昧になっていることは確かだが。

 次回に続く。