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ウォーキングコース沿いでツマグロヒョウモンの幼虫を見かけた。成虫は美しいのだが、幼虫はジャコウアゲハと同様のグロテスクな形をしている。捕食されないための自然選択の結果だろうか。 小学生の頃はいろいろな芋虫を育てていたが、ツマグロヒョウモンは未経験。リンク先にあるようにこの昆虫の生息域は、 本州では1980年代まで近畿地方以西でしか見られなかったが、徐々に生息域が北上し1990年代以降には東海地方から関東地方南部、富山県・新潟県の平野部で観察されるようになった。2002年には関東地方北部でも目撃報告がある。2006年現在、関東地方北部でもほぼ定着し、普通種になりつつある。さらに、2000年代の後半から2010年代にかけて東北地方でも目撃例が相次ぎ、現在は福島県、宮城県、山形県でほぼ定着している。となっていて、私が小学生だった1960年代には当時住んでいた世田谷でツマグロヒョウモンを見つけることはできなかった。 2024年現在、岡山では最もよく見かける蝶の1つとなっている。 |
【連載】チコちゃんに叱られる! 「ビーチバレー」 昨日に続いて、7月12日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
ビーチバレーが2人ずつで行われる理由については、放送では「8人遅刻したから」と説明された。元・大学ビーチバレー日本代表でスポーツ学を研究している竹川智樹さん(びわこ成蹊スポーツ大学)&ナレーションによる説明は以下の通り【要約・改変あり】。 まず、ビーチバレーと普通のバレーボールとの違いは以下の通り。
続いて、ビーチバレーが2人ずつで行われるようになった経緯は以下の通り【要約・改変あり】。
放送ではさらに川合俊一により、バレーボールの選手がビーチバレーに転向した当初に生じる困難として、ビーチボールでは風の影響がある点が挙げられた。 ここからは私の感想・考察になるが、まずバレーボールは、各種スポーツの中でもルールの変更が行われることの多いスポーツであるように思う。ウィキペディアによれば、 バレーボールは、1895年、子供、女性、高齢者も気軽に楽しめる室内スポーツとして、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ホルヨークのYMCAで当時25歳のアスレティックディレクター、ウィリアム・G・モーガンによって考案された。とのことであるが、リンク先に記されているように、その後いろいろなルール変更が行われている。ま。どのスポーツでも同程度のルール変更はあるのかもしれないが、バレーボールではタッチネットやオーバーネットなどのルールにもいくつか変更があるようでその印象が強い。そう言えば1964年東京オリンピックの女子バレーでは、最後はソ連選手のオーバーネットによる反則で日本の勝利となった。いまのルールでも同じような試合経過になるのだろうか。 あと、中学の体育の時のバレーボールは確か9人制ではなかったかと思うのだが記憶は定かでは無い。9人制についてはこちらに6人制との違いが解説されていた。 本題のビーチバレーだが、実は私はじっさいのビーチバレーの試合を見たことが一度も無い。その発祥について、ウィキペディアでは1920年代初めにカリフォルニアで始まったという説のほか、1915年にハワイ・ホノルルで始まったという説も紹介されていた。 2人制になった経緯について、放送では意外性を出すために「遅刻」のエピソードを紹介していたが、結局のところは、試行錯誤で、最もエキサイティングになるように人数やコートのサイズを調整した結果が今のルールに落ちついたというだけであって、きっかけはあまり意味を持たないように思う。これは野球でも同じで、9人制の野手の数を増やせばヒットが出にくくなる。塁間の距離を長くしても同様。試合経過などを考慮した上で、最適のルールに定着したと言える。 次回に続く。 |