【連載】チコちゃんに叱られる! 「瓶ビールのコップ」
昨日に続いて、7月12日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
- 「やるな」と言われるとやりたくなるのはなぜ?
- バレーボールは6人なのにビーチバレーはなぜ2人?
- 瓶ビールのコップが小さいのはなぜ?
という3つの話題のうち、最後の3.について考察する。
「瓶ビールのコップが小さいのはなぜ?」については放送では「ビール会社が生き残るため」が正解であると説明された。
ビール文化研究家の端田晶さん&ナレーションによる解説は以下の通り。
まず日本におけるビールの歴史を概観すると以下のようになる【要約・改変あり】。
- 日本に初めてビールが伝わったのは江戸時代中期。オランダ人が長崎・出島に瓶の形でで持ち込んだと言われているが、その時はあまり評判がよくなかった。『海表叢書』和蘭問答には、「ビールを飲ませていただいたが、思いのほかまずく、まったくおいしいものではない」という記述があった。
- 当時の『厚生新編』には、ビールは「微飲するものにあらず 大きな器で飲むもの」という記述があった。
- 明治時代になると文明開化で西洋料理店が急増。庶民が行くお店でも瓶ビールが提供されるようになった。
- 明治20年代になると、『ジャパン・ブルワリー・カンパニー』、『日本麦酒醸造会社』、『大阪麦酒株式会社』、『丸三麦酒株式会社』といった国産ビールメーカーが次々と誕生した。
- 明治32年には日本発のビヤホールである『恵比寿ビヤホール』が開業。
- 明治34年(1901年)、それまで日本酒などにかかっていた酒税がビールにもかかるようになった。その背景には、日清戦争で財政が厳しくなったこと、日露戦争が始まりそうだということでそれに備えるお金が必要になったことがあった。
- ビール税施行により資金力の弱い醸造所は税金が払えず次々と廃業。100社ほどあったビール会社は23社に激減した。
ビールのコップが小さい理由はここから始まる。
- 当時、ビール会社の担当者が飲食店などを店を訪問する形で販売されていた(直接営業)。
- 当時はビールの味がわかる人が少なかったので、ビール以外でアピールする必要があった。
- そこで飲食店などに無料で配るPR商品が導入された。当時アメリカのビール会社では、ミラー、トレー、オブジェといった社名入りグッズが無料で配られており、その中にガラスコップもあった。日本でもガラスコップに文字・模様を焼きつける技術が開発された。そこで日本でも社名の入ったガラスコップを販促品としてお店に配るようになった。
- こうして配られたコップの大きさはおよそ1合(180ml)で、今のビールコップとほぼ同じ大きさ。
- 当時はまだガラス製品が高価だったため、コストの関係で小さいコップになった。
では、ガラス製品が安く製造できる今の時代でもなぜ小さいままなのか? これについては、日本独特のお酌文化が影響しているのではないかと説明された。日本では昔からお酌で日本酒を飲む習慣があり、ビールも1本ずつ注文して数人で飲む。小さいコップであればつぐ回数が増えるのでコミュニケーションが活発になるため、今でも小さいままになっているのではないかと推測された。但し最近ではビールをジョッキで飲んだり、お酌をすることがアルコールハラスメントになるということもある。
ここからは私の感想・考察になるが、私自身はお酒を全く飲まないので、飲食店で提供されるビールがどのようなサイズのコップで提供されているのかは、注意を向けたことが全く無かった。水を提供するコップと同じサイズなのか、ビール専用の小さいコップなのかはよく分からない。
コップの大きさだけで比較すれば、おそらく、ビール>ワイン>日本酒となるはずなので、ビールコップをさらに小さくすればお酌の回数はさらに増えるはずだ。もっとも、盃のようなサイズでは泡ばかりでちっとも飲めないかもしれない。
販促品のコップのサイズが小さいのはコスト削減のためだと推測されていたが、イマイチ納得できないところがある。その当時からお酌の回数に注目し、お酌を増やしたほうが消費量が増えるという目論見があったのではないかと思われた。
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