じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 半田山植物園で見かけたニホンカナヘビ。普段は近づこうとすると素早く逃げてしまうが、時たまじっとしていて接写できることがある。
 なお、こちらに2匹が交尾している写真あり。


2024年10月3日(木)





【連載】高齢者のQOL(Quality of Life)とQOD(Quality of Dying)(3)なるようにしかならない、されど○○

 昨日に続いて、高齢者のQOLとQODの話題。

 昨日も述べたように、人の死に方としては、
  1. 老衰
  2. 病気
  3. 不慮の事故(交通事故、災害、犯罪被害者、戦争など)
  4. 自殺、(日本では認められていないが)安楽死
などが考えられる。これらはいずれも、個人の努力では変えることのできない部分を含んだ結末と言える。
  1. 老衰は病気や事故を免れた人の最終的な結末であるが、老衰になる年齢は人によって異なり、どんなに頑張っても延ばすことはできない。
  2. 多くの病気は個人の努力次第である程度予防することができるが、何かをすれば確実に防げるというわけではない。例えば、発がん物質に気をつければ癌になる確率は減るが、それでも罹る人は罹る。
  3. 事故や災害に遭う確率は、交通安全や防災への取り組みである程度減らせるが、それでも100%防ぐことはできない。どんなに頑丈なシェルターを造ったとしても、外出先で被災すれば意味は無い。
  4. 自殺は本人の能動的な選択ではない。多くの場合、やむにやまれず自殺に追い込まれるような背景があり、その状況から逃れるのは並大抵のことではできない【←それでも引き留める必要はあるが】。安楽死は日本では認められていないが、緩和ケアとの関係で検討の余地があるように思う。

 このように考えていくと、結局、高齢者の生き方の基本は、

●なるようにしかならない

という姿勢にあるように思う。もっとも、事態の成り行きに身を任せているだけではあまりにも消極的過ぎる。ということで、次に思い浮かぶのは、

●なるようにしかならない、されど最善を尽くす

という姿勢である。もっとも「最善を尽くす」というのは、「取り得る手立ての中で最も善いと思われることを全て行う」という意味であり、これを着実に遂行すると日々の生活はかなり窮屈になるように思われる。
 例えばこちらのチャンネルで提供されている動画には、ステージ4で抗がん剤治療もうまく行かない患者さんからの相談が寄せられているものがある。なかには、専門医顔負けと言えるほど、さまざまな治療法、免疫療法、超高価な新薬などの知識を調べていて、それらの治療法をすべて試そうとしている方もおられる。確かに「最善を尽くす」に徹すれば「全て行う」ことには意味があるかもしれないし、その方ご自身の判断を批判するつもりは毛頭ないのだが、これでは何だか、残りの人生の大半を癌治療情報集めとじっさいの治療の時間に充ててしまっているような気もする。癌に限らないが、治療法調べとじっさいの治療だけに費やすというのは、何だか残りの人生を有効に使っていないようにも思われる。

 ということで、私の暫定的な姿勢は、

●なるようにしかならない、されどそれなりにやれることはやる

としておこうかと思う。上記の「それなり」というのは、必ずしも最善を尽くすとは限らない、その時の状況に合わせて臨機応変に対処すること、また、1つの観点からは最善ではなかったとしても別の観点ではそちらのほうが意義深いと判断された場合は次善のほうを選ぶというような意味合いを含むものである。

 次回に続く。