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6月19日の日記に記したように、岡大・ピーチユニオンで営業していた理髪店が閉店となっていたが、このほど、その跡地できたお店の正体が明らかになった。残念ながら、私が期待していたQBハウスや古書店ではなく、「岡大生のお部屋探し」となっていた。 賃貸マンションの紹介は合格者発表前後など時期が限られた事業であるようにも思われるが、1年を通したトラブル対応も必要かもしれない。 |
【連載】チコちゃんに叱られる! 数える時に「正」の字を使う由来 昨日に続いて、10月4日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
「なんで数えるときに「正」の字を書くの?」については、放送では、「鉛筆が普及したから」が正解であると説明された。国語辞典の編纂者で日本語の語源に詳しい飯間浩明さん&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
ここからは私の感想・考察になるが、この放送内容については、飯間浩明さんのX(旧ツイッター)にもポストされていた。 そのポストによれば、まず2.の当該の『算元記』は東北大学のデジタルアーカイブの32面目にあることが分かった。興味深いのは、5は「玉」だが、2の時には「丁」ではなく「二」が使われていたことだ。おそらく当時の人は1から数えていく時に「玉」の書き順通りではなく、「一」、「二」、「三」、「王」、「玉」と書いていたのではないかと推測される。【放送の中でも、「書き順は当時の数え方で再現」として、「玉」が「一」「二」、「三」、「王」、「玉」という映像があった】。 『算元記』は「玉」が使われていた証拠にはなるが、当時庶民一般が「玉」を使っていたという証拠としては不十分。江戸時代に作られた建物の壁などに何かを数えた落書きのようなものが残っていれば決定的な証拠になるだろうが。 明治時代になって「正」が使われるようになった例として、『理論統計学』(1891年)が紹介されていたが、これについても飯間浩明さんのポストに追加情報があり、著者は呉文聡、国立国会図書館デジタルコレクションから当該の頁を閲覧することができる。なお飯間さんのポストでも記されているように、『理論統計学』では1つずつ「ヽ」で並べる表記も併用されており、また私が見た限りでは、5の時は「正」、頻度が1の時は「一」または「、」、2の時は「丁」、3の時は「下」が使われているように見えた。 このほか飯間浩明さんのポストには、 「正」の画線法は中国・韓国などにもあります。筆記具と関係が深い画線法であることから、近代化が早かった日本で一般化したと考えることができます。海外で使われた古い例も見出されません。ただ、海外にあった可能性も否定はしません。といった記述もあった。 念のため、海外での数え方についてCopilotに尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。 漢字を使わない国々では、数を数えるためにさまざまな方法が使われています。いくつかの例を挙げると:また、「中国でも「正」の字を使って数を数えますか?」と尋ねたところ、 はい、中国でも「正」の字を使って数を数える方法が存在します。これは「正字法」と呼ばれ、特に古代や伝統的な文脈で使用されていました。日本と同様に、5つの線で1セットを表し、数を視覚的にわかりやすくするための方法です。 ウィキペディアの中文版では、中国、日本、韓国で使われていると記されていた。 このほかネット上ではいろいろな情報が飛び交っているが伝聞によるものばかりで、証拠になりそうな例は見つからなかった。なお上掲の「タリー・マーク」とは別に、ボックス式というのもあるらしい(こちらによる) ということで、「正」の文字で数えるのは今ではほぼ日本だけ、但し江戸時代までは「玉」が使われていたということは納得できた。とはいえ、それが「鉛筆の普及」によるものだという説はまだまだ「Maybe」に過ぎないように思う。 ちなみに、子どもの頃、どのような場面で「正」で数えたのかと言えば、教室の黒板で学級委員の開票速報を実況する時とか、校庭でゲームのスコアを地面に記録する時などが思い出される。もちろん紙の上に鉛筆で記す場合もあったが、鉛筆だけの事情ではなく、単に「玉」よりも「正」のほうが、4と5を区別しやすかったからという説明でも納得できるように思う。 ここからは余談だが、5画の漢字は、「正」以外にはどのようなものがあるだろうか? こちらの一覧表によれば、
最近は加齢のため、また手描きで文字を書く機会が殆ど無くなったため漢字力は相当低下しているが、5画の文字はシンプルであるため、漢字検定2級レベルまでならなんとか書けそう。それより上級の文字の中には書けないばかりでなく読めない文字もある。 でもって、5画文字の中で文字を数えるのに都合のよい文字を探してみても、やはり曲がらない直線だけで成り立っている「正」が妥当であることは納得できる。 |