じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 11月11日の夕方と12日の朝はともによく晴れ、ほぼ完璧な日の入りと日の出を眺めることができた。私が今の住居に満足しているのは、天気が良ければ毎日、このような日の出と日の入りを眺められることにある。どんなに立派な戸建てに住んだとしても、日の出や日の入りが隣の家や高いビルに遮られてみられないようでは、1日の始まりや終わりを実感できず閉塞感から逃れられないように思う。

 ところで日の入りの「入」と日の出の「出」の意味だが、少し前、旧ツイッターXで、島宗さんが、

「日の入り」の方が「日の出」よりも語感が朝っぽくて時々迷って言い淀む。「太陽入場!」とか「お日様が出て行った」とか。午後2:04 ・ 2024年11月9日

とポストしておられたのが目にとまった。確かに「土俵入り」と同様、「日の入り」というのは東の空に太陽が入場してくるような語感がある。そもそも、「入場」と「出場」は反対語でない。「入場」の反対語は「退場」、「出場」の反対語は「欠場」あたりかと思う【「出欠」に対応】。いっぽう「入口」の反対語は「出口」【中国語も同様だが、「入口」は「進口(但し簡体字)」と書かれることが多いように思う】。このほか、「日の出」の反対語としては「日没」という言葉もある。なんともややこしい。

 念のためCopilotに「「入場」と「出場」には「入」と「出」という文字が使われていますが、なぜ反対語にはならないのですか?」と尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。
確かに、「入場」と「出場」にはそれぞれ「入」と「出」という文字が含まれていますが、これらの言葉は反対語ではありません。それは、文脈による意味の違いに起因します。
  • 「入場」: イベントや場所に「入る」という行為を意味します。たとえば、コンサート会場やスポーツイベントに参加する際に使われます。
  • 「出場」: 競技や試合などに「参加する」ことを意味します。例えば、スポーツ大会やコンテストでの参加者として使われます。
「入場」の場合は「入る」という行為に焦点が当てられているのに対して、「出場」の場合は「参加する」という意味合いが強いため、反対語としては機能しません。日本語の文脈による意味の違いが、このような結果を生んでいるのです。



2024年11月12日(火)




【連載】あしたが変わるトリセツショー『がん対策』(8)ナッジの応用(2)行動分析学との関係

 昨日に続いて、10月17日(木)に初回放送された、

がん対策

についてのメモと感想。本日は昨日述べたことについての補足。

 昨日の日記では、

 行動分析学の視点から言えば、ナッジを有効にするためには、「好子出現の随伴性による強化(正の強化)」が基本となる。なお、ここでいう「好子(コウシ)」は行動分析学の用語であり、経済学で使われている「インセンティブ」とほぼ同義と考えて差し支えない。
 いずれにせよ、ナッジそのものは理論ではない。理論はあくまで強化・弱化の理論であり、種々の行動原理のうち好子出現の技法を重視するという姿勢と、その有効性を高めるための技法に焦点があてられることになるように思われた。
と述べたところであるが、ナッジがある種の「好子出現の随伴性による強化(正の強化)」を活用した政策手法であることは間違いない。しかし、残念ながらナッジの紹介や関連論文の中では行動分析学の話は出てきていないように思われる。放送で紹介されていた溝田友里さん他の論文でもスキナー著作は引用されていない。あくまで私の勝手な推測であるが、その理由として以下のような点が考えられる。
  1. ナッジの研究者たちの多くは別の入り口からこの分野に参入してきたため、そもそも行動分析学のことを知らない。
  2. 行動分析学でいう「正の強化」は誤解されている。例えば、
    • 行動分析学は『外発的強化』ばかりで行動を変えようとしており『内発的強化』を軽視している。
    • 行動分析学でいう『正の強化』とは、エサでつるような方法であり、子どもに飴玉を与えてしつけるようなもの。このやり方を続けると、子どもは報酬目当てに行動するようになってしまう。
 こうした誤解については、

長谷川(1993).スキナー以後の行動分析学 2 . ――心理学の入門段階で生じる行動分析学への誤解.

などで指摘した通りだが、残念ながら誤解の解消には至っていない。また、以前、高等教育に関するシンポジウムに参加した時に驚いたことがあったが、認知心理学系出身の研究者の中には「行動主義には○○という欠点がある」と批判しておきながらスキナーの著書は一冊も読んでおらず、認知心理学の大家の著作に書かれている行動主義批判【←批判というより偏見】をそのまま鵜呑みにしているだけの方がおられた。【2007年4月25日の日記参照】

 いずれにせよ、ナッジが「好子出現の随伴性による強化(正の強化)」を活用した政策手法であることは間違いない。但し、正の強化なら何でもアリというわけではなく、昨日引用した環境省の資料にも記されているように、いくつかの限定条件がある。おそらく、以下のような条件を満たした「正の強化」のことをナッジと呼んでいるのだろう。【 】内は私のコメント。
  • そっと後押しする。「こうすれば○○が貰えます」というような契約条件を明示するのはナッジとは言えない【←あくまで私の解釈】。
  • 選択の自由を残す【←強化の理論から言えば、随伴性に縛られない「自由な選択」はあり得ない。なので正しい表現は「選択の自由」ではなく、「複数の選択肢の提供」】
  • 税制や補助金のように経済インセンティブを大きく変えるものではない【←自由主義国家では、「正の強化」に基づく大規模な経済政策が行われることが多いが、それらはナッジとは呼ばない】。
  • 特定の目的を達成したいという気持ちをもっている人の行動を促進するもの、あるいはそのような理想的な目的をもっていない人に理想をもたせて行動させるというものがある。
  • 賢い意思決定や向社会的行動を難しくするような「悪いナッジ」(=スラッジ、英語 sludge:ヘドロ)は排除されなければならない。


 次回に続く。