じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



11月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

クリックで全体表示。




 ウォーキングコース沿いでカシワバアジサイによく似た白い花が咲いていて気になっていたが、最近になって白色からピンク色に変わってきた。
 画像検索したところ、『ノリウツギ』の園芸品種、おそらく『ハイドランジア・パニキュラータ・グランディフローラ(ノリウツギ『ミナズキ』)』の可能性が高いように思われた。カシワバアジサイと異なり、夏から秋に開花するようだ。葉っぱの形でも容易に区別できる。


2024年11月19日(日)





【連載】チコちゃんに叱られる! 「体の重心移動」「ハニワとは」「絵が上手になるには」

 昨日に続いて、11月15日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
  1. ゆで卵の殻がむきやすかったりむきにくかったりするのはなぜ?
  2. 「止まれ」が「逆三角形」なのはなぜ?
  3. 【こんなんのコーナー】体の横を壁につけると足が上がらない現象
  4. ハニワってなに?
  5. 【ひだまりの縁側で?】絵が上手になるには?
という5つの話題のうち、残りの3.〜5.について考察する。

 まず、3.の『体の横を壁につけると足が上がらない現象』というのは、
  1. 右腕をまっすぐ挙げて壁につける。
  2. 右半身全体をを壁にピッタリつける。
  3. 体が壁から離れないようにしながら左足を横に上げる。
という動作ができないという意味であった。
 坂井建雄さん(順天堂大学)によれば、この現象は体の重心に関係している。人間の体の重心はおへそのやや下あたりにある。両足で立つ時は重心は体の中心にあるが、片足で立つときはその重心が移動することでバランスを取る。ところが体を壁にくっつけると重心の移動ができず足を上げられなくなる。なお、腕を上げなくても重心移動はできないのでやはり足を上げられない。

 ということで私もやってみたが、体の左側と壁の間に少しでも隙間がある状態では右足を上げることは簡単にできてしまう。よほどピッタリつけない限りはこの現象は確認できないことが分かった。




 続く4.の「ハニワってなに?」については、放送では『ハニワは王様の大河ドラマ。」が正解であると説明された。河野正訓さん(東京国立博物館)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. ハニワは王のやってきたことを再現した大河ドラマ。
  2. ハニワは、今から1700年ほど前の3世紀中頃に誕生した日本列島独自の文化。前方後円墳が生まれた時期とほぼ同じ。
  3. 当時の日本は、ヤマト王権が力を持っていた。ヤマト王権のもとでは大王や各地の権力者が亡くなった後、古墳に埋葬されるようになった。3世紀中頃から7世紀の間に16万基もの古墳が誕生した。
  4. 日本列島でいちばん古く作られたハニワの多くは土管のような形をしていた。その元々にハニワは『円筒埴輪』と呼ばれ、ツボを高く掲げるための台から変化したものだった。
  5. 円筒埴輪は古墳を取り囲むように配置され、現実の世界と古墳を区別する境界線の役割があった。一説には、「邪悪なものを飲食物でもてなしてお引き取り願うため」に配置されたと言われている。
  6. 4世紀頃になると、王の実際の住まいを表現した『家形埴輪』が登場。死後もその魂が寄り付く場所だったとされている。他にも王の武力を表す『盾型埴輪』、上流階級が使用していた日よけ『蓋(きぬがさ)』をモチーフにした『蓋形埴輪』が作られた。これらのような、王が所有していたモノをかたどったハニワは『形象埴輪』と呼ばれ、古墳に眠る人が権力を持っていたことを表現するようになった。
  7. 5世紀になると王の権力を表現するため、ストーリー性のある『人物埴輪』が登場した。これまでのハニワの世界に人物埴輪を加えることで、大河ドラマのように王の行ったすごいことを細かく伝えることができるようになった。放送では『盾持人物埴輪』、『鷹匠埴輪』、『鍬を担ぐ男子』の写真のほか、
    • 狩人がイノシシ狩りをしている場面(狩猟は王の武力を表現するのにピッタリの場面)
    • お祓いの場面(王や高貴な助成や三人童女を配置
    • 儀式や祭祀を描くことで王の権力を表現)
    • 踊る人々(一説には、亡くなった王の葬儀で王の復活を願った『殯(もがり)』という古墳時代の風習を描いたハニワだと考えられている)
    が紹介された。このように人物埴輪を作ることで大河ドラマのように王の一代記が表現された。
 ここからは私の感想・考察になるが、私がハニワというものを知ったのは、父親が奈良方面のお土産で買ってきたものが最初ではなかったかと思う。もっとも考古学にはあまり関心を持てず、ハニワと土偶の違いすら分からなかった。
 放送を通じて、ハニワの進化の過程が理解できたが、ウィキペディアによると明治以降の研究の中でいろいろな論争があり、今回の説明は比較的最近になって定説化された見解に基づくものであったようだ。
 ハニワについて私がいだいている疑問としては、
  1. なぜ日本列島だけの独自の文化なのか?
  2. なぜ6世紀以降は生産されなくなったのか?【ウィキペディアにが「畿内では古墳時代後期(6世紀中ごろ)、次第に埴輪は生産されなくなっていく。しかし、関東地方においては、なおも埴輪の生産が続けられた。なかでも、埼玉県鴻巣市の生出塚埴輪窯跡は当該期の東日本最大級の埴輪生産遺跡として知られる。」と記されている。】
 このうち1.についてCopilotに「埴輪は日本列島独自の文化だと言われていますが、他の地域でも似たような出土品はないのでしょうか?」と質問したところ、以下のような回答をいただいた。
埴輪は確かに日本列島独自の文化とされていますが、他の地域でも類似した出土品が見られることがあります。例えば、中国や朝鮮半島にも土器や陶器の人形が見つかっていますが、それらは埴輪とは異なる文化的背景を持っています。
埴輪は主に古墳時代に作られ、墓の周りに置かれることが多いです。これに対して、中国や朝鮮半島の土器や陶器の人形は、通常は宗教的な儀式や祭祀に関連しています。
他にも、ヨーロッパや中東には古代の土器や陶器の人形が見つかっていますが、これらもそれぞれの文化的背景に基づいて作られています。


 2.については、6世紀半ばの仏教伝来が影響を与えていることは間違いなさそうだ【日本史の暗記項目として「ほっとけ(仏)、ほっとけ、ごみ屋(538)さん」と暗記したことがあったが、552年伝来説というのもあるらしい。いずれにせよ、聖徳太子の時代以降は、権力者は巨大古墳ではなくお寺を建立するようになり、ハニワではなく仏像を作るようになったと思われる。




 最後の5.の「絵が上手になるには?」というのは9歳の女の子からの、

わたしは、絵をかくのがすきですがどうしてもえをかくのがうまくかけません。どうしたらうまくかけますか。

という質問に答えるものであった。齋藤亜矢さん(京都芸術大学)は、この女の子が描いたチコちゃんや岡村さんの絵で、笑顔やチコちゃんの八重歯などよく見て描かれていたことを褒めた上で、

何を描く時でも、この部分が可愛いな、面白いなと思ったところをしっかり見て描けるとステキな絵になると思います。上手に描こうとするよりも面白い絵を描こうとすることがコツかもしれません。

というようにアドバイスされた。このあたりは子どもへの絵画指導においても重要なポイントかもしれない。もちろん、対象を正確に描写する技法は基礎としては必要だが、子どもがせっかく絵を楽しんで描くようになった時にそのことばかりにこだわると嫌いになってしまうかもしれない。それよりも、対象のどの部分が気に入ったのか、何を感じたのか、ということに目を向けさせ、それを反映した絵が描けた時に褒めることが必要かと思う。