じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 パキスタン南西部バロチスタン州の小学校の教室【こちらに関連写真あり】。この教室では、教卓に向かって右側と背中側に窓があった。日本のような「窓は左側」でない理由は不明だが、可能性として
  1. 単なる偶然
  2. 暑さを避けるため
  3. 緯度が低いため、窓から直接日の光がさし込むことはない。
  4. 宗教上の理由
などが考えられるが真相は不明。↓の記事参照。



2024年11月23日(土)





【連載】チコちゃんに叱られる! 「コンソメの由来」「教室の窓が左側になった経緯」

 11月22日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は
  1. コンソメスープの「コンソメ」ってなに?
  2. 教室の窓が左側にあるのはなぜ?
  3. 仲よくなると「おそろい」にしたくなるのはなぜ?
という3つの話題が取り上げられた。本日はこのうちの1.と2.について考察する。

 まず1.のコンソメの由来だが、放送では「すべてやりきった」が正解であると説明された。フランス料理の研究家の宇田川政喜さん(日仏料理協会会長)&ナレーションによる説明は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. コンソメはフランス語の「consommer(消費する、完遂する」から派生した言葉で、すべてやりきったという意味になる。
  2. 本来のコンソメは、時間と手間をかけて料理人が思いを込めて作るスープのこと。
  3. もともとコンソメはフランスの貴族のために作られていた。宮廷料理人は、お金や手間ひまをかけていかに請託な料理をふるまえるかを追求。その結果、コンソメが誕生した。放送では、オーギュスト・エスコフィエが残したレシピに基づくコンソメを平野レミが再現した。
  4. コンソメはルネサンス期(16世紀)には存在していたが当初は具が入ったスープだった。19世紀の宮廷料理人アントナン・カレームはこれを液体だけの澄んだスープにした。そのレシピを世界に広めたのが『現代フランス料理の父』と呼ばれるエスコフィエであった。
  5. コンソメとは、素材のエキスを極限まで出し尽くしたスープ、つまり“すべてやりきった”スープ。

 私が飲んだことのあるコンソメスープはインスタントの固形物をお湯に溶かしただけのもので、化学調味料いっぱいであまり好みではなかった。飛行機の国内線でも提供されることがあるが、同じように化学調味料の味がする。そうした影響があり、ホンモノのフランス料理でコンソメが出されてもついついインスタントと同じように感じてしまう。むしろラーメンのスープのほうが好みだが飲み過ぎると体に悪いので控えるようにしている。

 次の2.の「教室の窓が左側にあるのはなぜ?」という疑問については、放送では、「右利きばかりだったから」が正解であると説明された。教育評論家の尾木直樹さん&ナレーションによる説明は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. 右利きの人がペンを持った時、右側から光が入ってくると手元が暗がりになってしまうため、左から光が当たるように窓を左に配置した。
  2. 教室の窓が左側であると決めたのは明治時代。当時の子どもたちが集団で食事をする映像を見ると、全員が右利きで食べていた。当時は、学校に行く前の家庭教育として右利きに矯正するのが当たり前の時代だった。
  3. 当時の学校生活でも、習字の筆遣いや裁縫のハサミは右利きが基本として教育されていたので、左利きの子も右利きになるように、親が教えておくのが一般的だった。
  4. そもそも日本の教室のデザインはヨーロッパを参考にしていた。生理学・衛生学のテキストを編纂したことで知られるイギリスのアーサー・ニューズホーム(1857-1943)は、学校衛生学を専門とする立場から、学校建築に大事なものとして、水、空気、光の重要性を説いていた。但し窓の位置までは決めていなかった。
  5. 1893年、三島通良(1866-1925)は、

    右側から採光すると「手暗がり」になるので、光線は必ず左から採光すべきである

    と自身の著書の中に記している。その2年後の『学校建築図説明及設計大要』(1895年)には「凡テ光線ヲ生徒ノ左側ヨリ採ルを要ス」と記され学校建築の指針が決定した。
  6. 放送では教室の窓が右側にあった場合、夏至の高さ(東京では78.4度)で光をあてた場合はそれほど不都合はないが、冬至の高さ(31.6度)ではかなり陰で見えにくくなることが実験で確認された。当時使われていた石版と石筆では、陰ができると余計に見えにくくなることも確認された。
  7. 音楽室では3面を防音壁で覆う設計から窓を正面に配置、またパソコンやタブレットを使う教室では外光が逆に邪魔になるので、「窓は左側」とは異なる設計になる場合もある。

 ここからは私の感想・考察になるが、教室の窓が左側になる理由が右利きに配慮した設計であることは以前から知っていたが、左利きの子どもが就学前に右利きに矯正され全員が右利きとして授業が行われていたことは今回初めて知った。念のためCopilotに「学校教育で左利きの子どもに配慮がされるようになったのは、いつ頃からですか?」と尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。
学校教育で左利きの子どもに配慮がされるようになった具体的な時期は、地域や国によって異なりますが、一般的には近年の数十年間で徐々に進んできました。特に、左利きの子どもが教育環境で不利にならないようにするための取り組みが増えてきました。
例えば、日本では1990年代から2000年代にかけて、左利きの子どもに対する教育的配慮が増加しました。これには、左利き用の筆記具や教材の提供、左利きの子どもが自分の利き手を使って学習できるような環境整備などが含まれます。
他の国々でも同様の動きが見られ、特に教育機関や政府が左利きの子どもの権利を尊重し、彼らが公平な教育を受けられるようにするための取り組みが進んでいます。


 放送では教室が左窓になったのは公式には『学校建築図説明及設計大要』(1895年)が始まりであるとされたが、江戸時代の寺子屋や私塾などはどうなっていたのだろうか。例えば松下村塾の講義室は左側から採光していた。テレビドラマなどでも、左側から採光している場面が多かったように記憶している。岡山の閑谷学校はどうなっていただろうか。

 余談だが、私自身は、現職時代の研究室でも、今使っている書斎でも、窓が左側にあるように机を配置している。そもそも手で文字を書くことが殆ど無いため、窓が左側であっても右側であっても全く影響は無いのだが、右側から光が入る配置ではなぜか落ち着かない。
 退職前の記憶なので不確かなところもあるが、同僚の研究室の中には窓を背にしている人や、逆に窓を正面にしている人もいた。また事務室では、入口側から見ると、幹部職員が奧の窓を背にして座り、一般職員の机はその手前に向かい合うように座るため、結果的に半数は左側、残りの半数は右側に窓があるという配置になっていた。

 次回に続く。