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パキスタン南西部バロチスタン州の小学校の教室【こちらに関連写真あり】。この教室では、教卓に向かって右側と背中側に窓があった。日本のような「窓は左側」でない理由は不明だが、可能性として
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【連載】チコちゃんに叱られる! 「コンソメの由来」「教室の窓が左側になった経緯」 11月22日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は
まず1.のコンソメの由来だが、放送では「すべてやりきった」が正解であると説明された。フランス料理の研究家の宇田川政喜さん(日仏料理協会会長)&ナレーションによる説明は以下の通り【要約・改変あり】。
私が飲んだことのあるコンソメスープはインスタントの固形物をお湯に溶かしただけのもので、化学調味料いっぱいであまり好みではなかった。飛行機の国内線でも提供されることがあるが、同じように化学調味料の味がする。そうした影響があり、ホンモノのフランス料理でコンソメが出されてもついついインスタントと同じように感じてしまう。むしろラーメンのスープのほうが好みだが飲み過ぎると体に悪いので控えるようにしている。 次の2.の「教室の窓が左側にあるのはなぜ?」という疑問については、放送では、「右利きばかりだったから」が正解であると説明された。教育評論家の尾木直樹さん&ナレーションによる説明は以下の通り【要約・改変あり】。
ここからは私の感想・考察になるが、教室の窓が左側になる理由が右利きに配慮した設計であることは以前から知っていたが、左利きの子どもが就学前に右利きに矯正され全員が右利きとして授業が行われていたことは今回初めて知った。念のためCopilotに「学校教育で左利きの子どもに配慮がされるようになったのは、いつ頃からですか?」と尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。 学校教育で左利きの子どもに配慮がされるようになった具体的な時期は、地域や国によって異なりますが、一般的には近年の数十年間で徐々に進んできました。特に、左利きの子どもが教育環境で不利にならないようにするための取り組みが増えてきました。 放送では教室が左窓になったのは公式には『学校建築図説明及設計大要』(1895年)が始まりであるとされたが、江戸時代の寺子屋や私塾などはどうなっていたのだろうか。例えば松下村塾の講義室は左側から採光していた。テレビドラマなどでも、左側から採光している場面が多かったように記憶している。岡山の閑谷学校はどうなっていただろうか。 余談だが、私自身は、現職時代の研究室でも、今使っている書斎でも、窓が左側にあるように机を配置している。そもそも手で文字を書くことが殆ど無いため、窓が左側であっても右側であっても全く影響は無いのだが、右側から光が入る配置ではなぜか落ち着かない。 退職前の記憶なので不確かなところもあるが、同僚の研究室の中には窓を背にしている人や、逆に窓を正面にしている人もいた。また事務室では、入口側から見ると、幹部職員が奧の窓を背にして座り、一般職員の机はその手前に向かい合うように座るため、結果的に半数は左側、残りの半数は右側に窓があるという配置になっていた。 次回に続く。 |