じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



01月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

クリックで全体表示。



 大相撲初場所は、巴戦の結果、大関・豊昇龍が金峰山と王鵬に勝利し優勝した。
 この場所は横綱・照ノ富士引退という残念なニュースがあったが、終盤まで、金峰山、豊昇龍、王鵬、尊富士、千代翔馬が1敗差で優勝争いを展開し、大いに盛り上がった。私自身は毎日、17時からの夕食時に観戦した。
 今回の初場所で気づいた点、謎となった点は以下の通り。
  1. 千秋楽の正面解説者は、「琴風さんはご都合によりお休みです」という理由で、専属解説者の琴風さんではなく、元鶴竜の音羽山親方に交代していた。どのようなご都合なのか、気になるところだ。
  2. 優勝争いを盛り上げた金峰山は「きんぼうざん」が正式な読み方だが、複数の解説者が「きんぽうざん」と発音しており実況アナも特に訂正は求めなかった。なお私が長年愛用しているATOKの漢字変換でも、「きんぼうざん」と入力すると第一候補は「近傍残」が出てきてしまう。「きんぽうざん」と入力しないと「金峰山」にならない。なお、四股名の由来となった熊本県の金峰山は、ウィキペディア産業技術総合研究所 地質調査総合センターの資料では、それぞれ「金峰山(きんぼうざん、きんぽうざん)」あるいは「きんぼうざん(きんぽうざん)」というように「」と「」が併記されている。
  3. 巴戦で優勝する確率については2015年3月17日などで取り上げたことがある。3人の力士A、B、Cがそれぞれ1/2の確率で勝利すると仮定した場合、1回目に対戦するAとBの優勝確率はそれぞれ5/14、2回目に出てくる力士Cの優勝確率は4/14となってやや不公平。この違いは簡単な確率計算でも証明できるが、直観的には、「2回目の対戦時に初めて土俵に上がるCは負ければそれで終わり。いっぽう1回目に勝ったAまたはBは、2回目で負けてもまだ4回目に出場できるチャンスが残っている。」と納得できる。
    巴戦自体は「不公平」だが、巴戦の順番はクジで決めているので、クジをひく時点では3者平等ということになる。
  4. 今回の巴戦では、まず豊昇龍と金峰山が対戦、続いて豊昇龍と王鵬が対戦した。
    • 1回戦の時は、呼び出しは「東、金峰山、西、豊昇龍」、また行司は「金峰山に豊昇龍。優勝決定巴戦にござります」と四股名を1回ずつ呼んだ。
    • 2回戦の時は、呼び出しも行司も王鵬の四股名だけ呼び、豊昇龍は呼ばれなかった。あくまで私の推測だが、豊昇龍が呼ばれなかったのは、1回戦で勝利して「まだ土俵に残っている」と見なされるからと考えられる。であるとすると、仮に2回戦で王鵬が勝った場合、3回戦では今度は金峰山だけが呼ばれることになるはずだが、豊昇龍2連勝によりこれを確認することはできなかった。
  5. 初場所では石破首相が自ら内閣総理大臣杯を授与した。首相が自ら内閣総理大臣杯を手渡すのは、故安倍晋三元首相が2019年の大相撲夏場所千秋楽で授与して以来6年ぶり。来日したトランプ米大統領とともに観戦した。その後は新型コロナウイルスの影響などがあり、菅義偉元首相、岸田文雄前首相は来場しなかったという。安倍首相とトランプ大統領が来場したことははっきり覚えているが、それより過去に首相がみずから授与したという記憶は全く残っていない。念のためCopilotにも尋ねたが、石破首相と安倍首相以外は不明とされた。
    夏場所にトランプ大統領が来場すれば、また希少なシーンが見られるかもしれない。
  6. 優勝パレードでは、豊昇龍のほか旗手の力士ともう1人、青紫色の模様の浴衣を着た小柄な人がオープンカーに乗り込んでいた【画像参照。さらに、後ろの席に立浪親方が乗っていたかもしれない[]が未確認】。旗手をつとめた力士は全く見覚えが無かったが、こちらから、立浪部屋の西十両12枚目・木竜皇であると判明した。いっぽう、もう一人の小柄な人の正体は不明。立浪部屋の関係者が支度部屋でバンザイをする際にもこの人は豊昇龍の向かって左後ろに立っており重要人物と思われるがいったい誰なのだろうか。豊昇龍の子どもとは思えないし[※※]。
    ]その後、ニュース映像で、オープンカーは1列のみで、乗っていたのは豊昇龍、木竜皇、謎の人物の3人のみであることを確認した。
    ※※]その後、この謎の人物は、「柏相撲少年団」所属の17歳の男性であると判明した。こちらに詳細情報あり。

2025年01月27日(月)




【連載】チコちゃんに叱られる! 「散歩の『散』ってなに?」

 昨日に続いて、1月24日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
  1. 熱が出たとき体温が上がっているのに「寒い」と感じるのはなぜ?
  2. 散歩の「散」ってなに?
  3. 冷蔵庫が冷やせるのはなぜ?
という3つの話題のうち、2.について考察する。

 放送では、「散歩の『散』は薬」が正解であると説明された。古代中国の歴史や文化について研究している渡邉義浩さん(早稲田大学)&ナレーションによる解説は以下の通り。
  1. 『散歩』という言葉はもともと古代中国でできた言葉。
  2. 散歩の『散』はとある薬を意味している。
  3. 散歩の『散』は今から約1700年前、三国志の時代に流行った『五石散』という薬のこと。
  4. 五石散』とは5つの鉱物を混ぜて作った薬のこと。【5種類には何通りかの選定があるが】三国時代のあとに書かれた『抱朴子』では以下の5種類となっている。
    • 丹砂(たんしゃ):水銀。精神安定。
    • 雄黄(ゆうおう):ヒ素。意識障害。
    • 白礬(はくばん):ミョウバン石の結晶。熱冷まし。
    • 曽青(そうせい):銅。意識障害。
    • 慈石(じせき):鉄鉱石。精神安定。
  5. しかし当時は水銀やヒ素が有毒であるとは知られておらず、五石散は毒性のあるものを少しずつまとめて飲む毒薬のようなものであった。
  6. 五石散を飲むと体が熱くなり感覚が研ぎ澄まされる効果があった。これを『散発(さんぱつ)』と呼んだ。
  7. 五石散を飲むと体内の1か所にこもって中毒を起こして死ぬ可能性もあった。そこで薬を体内に行き渡らせて毒を散らす必要があった。そのため当時は、服用後に歩き回って血行をよくすべきだと信じられていた。
  8. このように歩き回ることは『行散(こうさん」)』と呼ばれ、これが『散歩』の語源になった。
  9. 『五石散』を飲んでいたイケメンに『何晏(かあん)』という人がいた。中国の三国時代に活躍した魏の学者・政治家であり、曹操が養子にしたいと思ったほどの優秀な人物であった。何晏が美白すぎるは白い粉をつけているのではないかと思った皇帝が真夏の暑い日に何晏にラーメンを食べさせて汗をかかせたが、もともと肌が白かったので落ちなかったという逸話もある。
  10. 『五石散』は中毒死する危険があるため、その後は使われなくなったが、「健康などのためぶらぶら歩く」という意味の行為を『散歩』と言うようになった。
  11. 『散歩』という言葉が日本に入ってきた時期ははっきりとは分からないが、14世紀の鎌倉後期〜南北朝時代の書物『済北集』には『散歩』という言葉が使われおり、それより前の時期に日本に入ってきたと思われる。
 ここからは私の感想・考察を述べさせていただくが、まず『五石散』の種類については放送で紹介された5種類以外もあり、ウィキペディアでは、

五石散(ごせきさん)は、古代中国で後漢から唐代にかけて流通していた向精神薬。寒食散(かんしょくさん)とも呼ばれる。 鍾乳石、硫黄、白石英、紫石英、赤石脂という五種類の鉱物を磨り潰して作られたもので、不老不死の効果や虚弱体質の改善に効果があるとして中国で広く流通した。

となっていた。「鍾乳石、硫黄、白石英、紫石英、赤石脂」であれば、放送で紹介された水銀やヒ素は含まれておらずそれほど有害ではなく【硫黄は別?】、多くは不溶性のためそのまま体外に排出されるのではないかと思われるが詳しいことは分からない。但しいずれにせよ、薬効があるとは到底思えない。

 『五石散』の薬効があってもなくても散歩自体は健康にはよいので、そのまま定着した可能性が高い。

 ウィキペディアの『散歩』にはより詳しい解説があり、
  • 散歩とは、気晴らしや健康などのために、ぶらぶらと歩くことである[2]。散歩というのは、多くの場合、自宅や滞在している場所などの周辺を、とりとめもなく、ぶらぶらと歩くことを言う。
  • 「散歩」というのは、健康増進を明確な目的とした近年「ウォーキング」と呼ばれる行為と重なる部分はあるが、「散歩」のほうは、ただの気晴らし目的がありうる、という点でそれとは異なった概念である。また「ハイキング」とも用法が異なる。
  • 散歩をする理由は、人により、またその時々の状況により、さまざまである。
とした上で、人それぞれにおける散歩の効用が上げられていた。なお、英語では『Strolling』、中国語では『散歩』となっていた。

 私自身は毎日、半田山植物園などにウォーキングに出かけているが、植物園内では花や紅葉を楽しんだりしているので、厳密にはウォーキングではなく散歩に近い行為になっているかもしれない。ちなみに、放送では千葉県・勝浦に在住の渡邉さんの散歩コースが紹介されていたが、海岸沿いなどもあってなかなか健康に良さそうなところであった。もっとも渡邉さんの肩書きは「早稲田大学常任理事文学学術院教授」となっており、勝浦から高田馬場までは片道2時間以上かかるようであった。毎日通勤するとなると4〜5時間を通勤電車の中で過ごすことになり、お節介ながらこれでは健康的とは言えない。ということは、早大近くにマンションを借りておられて(もしくは所有されておられて)、そこから平日は出勤、休日のみ自宅で過ごしておられるということなのだろうか。ま、別段比較しても無意味だが、私のように現職時は大学構内の自然に触れながら徒歩通勤、定年退職後は植物園でウォーキングというライフスタイルは、長時間の通勤を要さないという点で恵まれていたと思う。

 次回に続く。