じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【小さな話題】2025年1月の「じぶん更新」を点検する:「右肩上がりの成長」から「日々の充実」へ 毎月の月末、もしくは翌月1日に「○○年○月の『じぶん更新』を点検する」という記事を執筆してきたが、この1年ほどはサボることが多くなってしまった。じっさい過去日記を調べたところ、前回この話題を取り上げたのは昨年10月末であることが分かった。 もっとも若い頃とは違って、右肩上がりの成長を目ざすような「じぶん更新」は困難になりつつある。現在の私にとっての「じぶん更新」とは、「賃貸契約の更新」や「免許証の更新」と同じような意味。つまり「きのうの自分」と同じ契約条件を「きょう」も更新できればそれで充分であるという考えである。もちろん毎日同じことを繰り返しているわけでもない。それぞれの日が充実していることがその日の「じぶん更新」ということになるかと思う。 このような考えは結局「いまを生きる」ということにつながる。「過去の回想」とか「将来の夢」はあまり意識せず、日々の充実を重視。例えば、いま楽天版に2002年8月に訪れた中国・東チベットのアルバムを掲載しているが、その主目的は当時の回想ではない。
このところずっと教養・雑学系のテレビ番組についての感想・考察を述べる記事が増えているが【こちらのリスト参照】、じつは数ヶ月も経てば、過去に書いた内容は殆ど忘れてしまっている。チコちゃんの番組で新しく知ったや発展的に考えたことなどもたいがいは数ヶ月経てば忘れてしまう。なのでその内容をWeb日記に書いたからといって、「知識が更新された」ことには必ずしもならない。では何のために日記に書くのかと言えば、毎朝の1時間とか2時間をかけて放送内容を正確に聞き取ったり関連テーマを自力で調べたりするというその行動自体が「いま」を充実させてくれるからに他ならない。極端なことを言えば、例えば「なんでドーナツにアナがあいているのか」ということを10月30日の日記に記し、その後日記に書いたことをすっかり忘れてしまって、11月10日の日記に同じことを書いたとしても、それぞれの日において充実していればそれでよい、ということだ。 なお、ここまで書いたことはあくまで隠居人的人生としてのライフスタイルである。若者はもちろん、定年退職を迎える前の50歳代、60歳代の人たちはやはり、右肩上がりの成長を目ざしてほしいと思う。 ということで前置きが長くなったが、2025年1月のWeb日記の振り返りを以下に記す。
2025年もあっという間に1か月が過ぎてしまった。健康寿命があと5年だったとしても、ボーッとしていると、5か月程度の長さで終わってしまいそうだ。健康寿命を延ばすことも必要ではあるが、物理的には同じ時間の長さであっても、日々の充実の度合いによって2倍にも3倍にも延ばせるし、逆に半分にも1/3にも縮まってしまうことにもなりそう。 |