じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【連載】チコちゃんに叱られる! 「人見知りするのは死にたくないから」という奇を衒った説明 1月31日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は、
放送では「人見知りするのは死にたくないから」が正解であると説明された。心理療法についえ研究している清水栄司さん(千葉大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
ここからは私の感想・考察を述べさせていただくが、今回の解説は前半と後半の2段階から構成されていた。
このうち前半部分の説明はかなり胡散臭い。昨年12月30日の日記でTop5を挙げたように、チコちゃんの番組で時たま胡散臭い説明が登場する。ほぼ共通しているのは、 ●大昔(石器時代?)に有用であった習慣が脳にインプットされ(遺伝子に記憶され)、現代に受け継がれている。 といった進化心理学モドキのこじつけである【さらには脳科学の専門用語で権威づけしている場合もある】。なぜそれが問題なのか(説明になっていないのか)については改めて繰り返さないが、とにかく解説に「太古」、「遺伝子」、「進化」、「大脳」といった言葉が出てきた時には疑ってみる必要がある。 今回の話題では「人見知りするのは死にたくないから」と解説されていたが、上掲のイラストに描かれているような場面、つまり見知らぬ男が単身で集落にやって来たような場面では、村人たちのほうがはるかに優勢であって、人見知りをしてもしなくても縄張りを奪われたり命を奪われたりする危険はきわめて小さい。また、本当に縄張りを奪うことが目的であれば、武装した集団となって襲ってくるはず。そのような場面では最初から戦いが始まるので人見知りをしているヒマなどないはずだ。 さらに、今回の話題では、人見知りは「見慣れない人に対して、不安・緊張で積極的に会話できない状態を指す。」と定義されていたが、そうであるならば、 ●人見知りしない人:見慣れない人に対しても不安をいだいたり緊張したりせず積極的に会話ができる人 ということになるはず。であるなら、太古の集落においても、人見知りする人よりは人見知りしない人のほうが、見慣れない人に対して適切に対応できたはずで、「太古においては人見知りしたほうが命が助かるので適応的」という説明は矛盾してしまうことになる。 念のためこちらやこちらの情報を拝見したが、経歴や業績、役職などを拝見する限り、清水さんは進化心理学モドキのトンデモ説を唱えるような方とは到底思えない。おそらく番組制作者の意向を汲んで、視聴者が意外性を感じるように「死にたくないから」という説明にしてしまったのではないかと拝察する。いずれにせよ前半の進化心理学モドキの「説明」は、後半の「大人になって人見知りする」ことの説明にも、解決策のヒントにもなっていない。 なお、この放送では人見知りを対人場面における現象として捉えていたが、人間以外を含めて、多くの動物は、新奇な対象や環境を警戒する性質を持つ。これは『新奇性恐怖』(Neophobiaと呼ばれる。この概念はたいがい新奇な食物を口にしない場合に使われるが、見知らぬ人や新しい環境に対する不安や緊張にも共通した特徴が含まれているようだ。この場合は、とにかく『慣れ』(habituation)で解消できる。 もっとも、『人見知り』という現象は『慣れ』だけでは解決しない場合がある。これは、『対人恐怖』、『コミュ障』、『非社交性』、『人間嫌い(孤独志向)』などが、『新奇性恐怖』と混同されているためであろう。 放送では解決策として「自分に注意を向けすぎないこと」と「人見知りをネガティブに捉えないこと」が推奨されたが、これらは見知らぬ人への人見知りを解消するというより、学校や職場における対人関係を円滑にするための方策であるように思われる。 ところで、一般には「人見知りは解消すべきもの」が前提となりやすいが、どれだけ解消したほうが良いのかは、それぞれの人の生活環境、職業などによる。昨年12月の日記: で述べたように、私なんぞは、定年退職後はもっぱら孤独志向であり、妻・子・孫などとの交流を除けば、可能な限り対人接触を減らすことを好むようになっている。とにかく他人と会うのは煩わしいし、そのような対面場面を予定したりするのは束縛、じっさいに時間を費やすということは時間のムダであるように感じる。といっても別段、不安や緊張を避けているわけではなく、あくまで「煩わしい」と感じるからであって、人見知りとは異なっているように思う。とはいえ、介護施設に入居したり病院に入院すれば、対人接触は避けることができない。そうならないためにも(そういう期間を最短にするためにも)可能な限り健康寿命を延ばしたいと思っている。 次回に続く。 |