じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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日の出の時刻、2日連続で西の空の月を眺めることができた。写真上と中段は2月14日撮影で月齢は15.4。写真下は2月15日撮影で月齢は16.4。 日の出の頃は空が明るくなっているので、コンデジでも月の輪郭や模様をはっきり撮ることができる。 |
【連載】チコちゃんに叱られる! 「年齢を書く時の『歳』と『才』」/書き取りよりも漢字熟語の読み学習を優先すべし 2月14日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は、
放送では年齢を『歳』ではなく『才』と書くことがあるのは「才が小学生までの仮の漢字だから」であると説明された。 国語辞典編纂者で日本語の語源に詳しい飯間浩明さん&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
『歳』を使った人に電話取材したところ、以下のような声があった。
ここからは私の感想・考察を述べさせていただくが、まず私自身は一貫して『歳』を使っている。子どもの頃は『才』と書いていた記憶があるが、たぶん中学の頃に『歳』と書きなさいと指導されていた。ちなみに私は1959年に小学校に入学しているので、上掲の『小学校学習指導要領』改訂の1961年にはちょうど3年生になっており、漢字配当に基づく漢字教育が実施された最初の学年になってなっていたようだ。といっても何かの変化があったわけではないが、教室の壁に漢字表のようなものが貼られていたような気がする。 ところで『歳』と『才』からの連想であるが、似たような「混同」として、
「年」は音読み(中国語式発音)の「ネン」と、訓読み(日本語式発音)の「とし」で、小学校で習う。でも中学で習う「歳」は読み方が複雑。音読みの「サイ・セイ」は常用だが、訓読みの「とし」はなぜか常用外である。という情報があった。私自身は一貫して「歳を取る」を使っている。 もう1つの「年齢」と「年令」については、上記の「歳」と「年」を含めて、文化庁・第5期国語審議会・語形の「ゆれ」の問題に以下のような資料があった【昭和36.3.17,3.22】。 「何歳」と「何才」,「年齢」と「年令」――年齢を数える場合に,「歳」のかわりに「才」を使い,また,「年齢」の「齢」のかわりに「令」を使うことはこれまでもかなり普通に行なわれている。「才」「令」は教育漢字,「歳」「齢」はそうでないことなども考え合わせると,今後はこのような場合,「才」「令」の使用がいっそう一般的傾向になるであろう。これを一概にとがむべきではないと考えられる。 上掲の報告の中では、「率」と「卒」についても、 「率直」と「卒直」――「率」を「利率」「円周率」など「リツ」と使う場合には問題はない。ところが,「ソツ」と使う場合,「率直」「率先」などの「率」に「卒」を使うことがこれまでも行なわれている。これは,「率」の字画が複雑なので,音通によって簡単な「卒」でまにあわせるのであろう。という記述があり、一般論として「字画が複雑な感じは音通により画数の少ない漢字に代用される」傾向があると指摘されている。 しかしこれは1961年当時の議論であり、手書きではなくワープロやスマホでの文字入力が主流になった現在では、画数が多いか少ないかではなく、むしろ、文字を見た時に区別がつきやすいかどうかが重要となっている。 あくまで私の個人的意見だが、日本語というのは同音異義語を漢字で区別することを必須とする言語であり、また同音異義語が多いということは単なる駄洒落や懸詞を楽しむばかりでなく、豊かな発想の原動力になっているように思う。そして今の時代、画数が多い文字を使用することは文字入力上では全く問題にならない。むしろ画数が少ない漢字のほうが他の漢字や平仮名・片仮名と見誤りやすくなっている。なので、字画が複雑な漢字が字画の少ない文字で代用されるということは日常生活ではありえなない。 唯一の障壁は、学校教育の中で漢字の書き取りに多大な時間をかけていることだ。習字・書道として漢字を美しく書くことは有意義であるとして、漢字交じりの文章を読んだりスマホで漢字を使ったりする際には手書きは全く不要。自慢ではないが私なども、定年退職後は自分の氏名や住所以外の漢字を手書きしたことは殆ど無い。 漢字熟語の読み教育を早期から始めるべきであること、ふりがなは不要、漢字の書き取りも不要(もしくは削減)ということは、かれこれ40年近く前から主張してきたが、学校教育の中で取り入れられてこなかったのはまことに残念である。
なお、幼児期において幼少期から複雑な漢字を覚えることは、おそらく右脳を鍛える上でも有用と思われる。私の主張は、 ●書き取りにこだわっていると複雑な漢字熟語を覚える時期が先延ばしされてしまう。それよりも小さい頃から「読み」を優先してできるだけ多くの漢字を学んだほうが良い。 という点にあるが、書き取りに必要な運動能力を高めること自体を後回しにせよと言っているわけではない。読み学習と書き取りをセットにすると読み学習の進行にブレーキがかかってしまうので、その妨げになるようであれば書き取りは後回しにしたほうが良い、極言すれば、スマホで入力できるならば手書きができなくてもかまわないと論じているだけである。 手書き字の練習自体もおそらく右脳を鍛える上でも有意義かと思う。とりわけ高齢者の認知症予防という目的には役立ちそうだ。これは日本語や中国語などの漢字文化圏のみで導入可能な特権であるとも言える。 [※追記]飯間さんのX(旧ツイッター)に補足の説明があった。こちら参照。その関連ポストに、 代用漢字の例として「闘→斗」が紹介されました。〈現在はこのような代用はしない〉とナレーションにありましたが、厳密には「OK牧場の決斗」「網走番外地・吹雪の斗争」などの映画タイトルもあります。もっとも、これもすでに「やや昔」になったと言えるかもしれません。とあった。このことで思い出したが、私が高校・大学の頃はまだ学生運動が活発であり、キャンパス内の立看で『斗』の字をよく見かけた。例えば『全学共闘会議』は『全学共斗会◆』(◆は『議』の簡体字)など。全共闘系の立看ではなぜか簡体字ばかりが使われていた。 次回に続く。 |