じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 日の出の時刻、2日連続で西の空の月を眺めることができた。写真上と中段は2月14日撮影で月齢は15.4。写真下は2月15日撮影で月齢は16.4。
 日の出の頃は空が明るくなっているので、コンデジでも月の輪郭や模様をはっきり撮ることができる。

2025年02月15日(土)




【連載】チコちゃんに叱られる! 「年齢を書く時の『歳』と『才』」/書き取りよりも漢字熟語の読み学習を優先すべし

 2月14日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は、
  1. 年齢を書くとき歳と才って書くのはなぜ?
  2. 観覧車ってなに?
  3. 【こんなんのコーナー】じっと見ると指と指が吸い寄せられちゃう現象
  4. なぜ失恋すると海が見たくなる?
という4つの話題が取り上げられた。本日はこのうちの1.について考察する。

 放送では年齢を『歳』ではなく『才』と書くことがあるのは「才が小学生までの仮の漢字だから」であると説明された。
 国語辞典編纂者で日本語の語源に詳しい飯間浩明さん&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. 『歳』と『才』のもともとの意味は以下の通り。
    • 歳:旧字体の『歳』は文字の中に「歩」が入っている。これは「天体の歩み」や「年月の歩み」、そこから年齢を表すようになった。
    • 才:もともとは資質・能力・知恵の働きを意味し、「天才」、「才能」、「才覚」といった用例がある。年齢を表す意味は全く無かった。
  2. 昔の人も、画数の多い漢字はなるべく簡単に書きたいと考えた。遅くとも江戸時代には、年齢を表す『歳』の代わりに『才』の字が広く使われていた。井原西鶴の『好色一代男』(1684年)には簡単な『才』の字で年齢が書かれていた。
  3. この頃は代用漢字を使うのはごく一般的だった。他にも『議』の代わりに『木』、『闘』の代わりに『斗』などが代用されたが、現在では使われていない。
  4. 『歳』の代用として『才』が今でも使われているのは、日本の学校教育が大きく関係している。
  5. 小学校では『学校』、『先生』、『一年生』といったよく使う言葉は【過渡的な平仮名表記を指導せず初めから】漢字で書くようにしている。小学校に入ると自分の年齢を書く機会が多くなるが『歳』だけを平仮名『さい』で書くのはいかがなものか、といって『歳』は難しすぎるので、小学生までの仮の漢字として、画数が少なく簡単に書ける『才』が代用された。
  6. 1949年、当時の内閣は、字体をどのように書くかという標準を示した『当用漢字字体表』1850字を発表した。これにより、画数の多かった『圓』、『縣』、『臺』、『藝』などは、それぞれ『円』、『県』、『台』、『芸』というように簡単に書けるようになった。この時旧字体の『歳』は『歳』となった【旧字体では『歩』の下の部分になっていたところが『示』の一部となるように書き換えられた】。
  7. しかし複雑な漢字のまま残った新字体の『歳』を小学校1年から教えるのは難しい。そこで1961年4月から実施された『小学校学習指導要領』では、、年齢を表す『才』を小学3年生で教えることになった。放送では当時の『学年別漢字配当表』が紹介され、その中の3年生187字の中には確かに『才』が含まれていた。なお現在では『才』は小学校2年生で教える漢字に配当されている。
  8. 小学2年生の漢字の本 『となえて おぼえる 漢字の本 小学2年生 改訂4版(下村式シリーズ)』(偕成社)では、『才』の用例として『八才』、また『才』の意味として、3番目に「年れいをかぞえる『歳』のかわりにつかう字」と書かれている。いっぽう『歳』の字は中学生で教える漢字のほうにあてられている。
  9. つまり正しい漢字の『歳』が中学生で習う漢字であったため、小学生までの仮の漢字として『才』が使われるようになった。
  10. とはいえ仮の漢字『才』を教えたあとで『歳』を教えるのは二度手間になるので『才』のままで全くかまわないのではないかと飯間さんは指摘された。
 放送ではさらに、チコちゃんの番組のお便り募集に寄せられた年齢表記で『歳』と『才』がどれだけ使われているのかが調査された。この番組ではお便りを出す時、「名前のわきに『5さい』と書いてください。」という注文がつけられているのでたくさんのデータを集計することができる。ということで3人の番組スタッフが2024年に寄せられた1185通を8時間かけて分類したところ、以下のような結果になった。
  • 『さい』:187通
  • 『才』:610通
  • 『歳』:143通
  • その他:245通

 『歳』を使った人に電話取材したところ、以下のような声があった。
  • 『歳』のほうがピッタリくる。『才』は「とし」とは思わない【93才男性】
  • 二十歳すぎて社会的に責任が出てきたら『歳』を使ったほうがいい【54歳女性】
  • 大事な書類を書く時に『才』を書いてしまうと幼く見えてしまう。『歳』のほうが品がある【23歳女性】
なお、この話題の最後のところでチコちゃんが「我が輩は10万とんで5歳である」と言ったが、何のジョークか全く分からなかった。ネットで検索したところデーモン閣下のパロディらしい。




 ここからは私の感想・考察を述べさせていただくが、まず私自身は一貫して『歳』を使っている。子どもの頃は『才』と書いていた記憶があるが、たぶん中学の頃に『歳』と書きなさいと指導されていた。ちなみに私は1959年に小学校に入学しているので、上掲の『小学校学習指導要領』改訂の1961年にはちょうど3年生になっており、漢字配当に基づく漢字教育が実施された最初の学年になってなっていたようだ。といっても何かの変化があったわけではないが、教室の壁に漢字表のようなものが貼られていたような気がする。

 ところで『歳』と『才』からの連想であるが、似たような「混同」として、
  1. 『とし』:『歳』か『年』か?
  2. 『ねんれい』:『年齢』か『年令』か?
がある。このうち、年齢という意味での『とし』は『歳』が正式であろうと思っていたが、こちらの記事によると、
「年」は音読み(中国語式発音)の「ネン」と、訓読み(日本語式発音)の「とし」で、小学校で習う。でも中学で習う「歳」は読み方が複雑。音読みの「サイ・セイ」は常用だが、訓読みの「とし」はなぜか常用外である。
それゆえ、公式な文書や新聞などには「歳を取る」は残念ながら使えず、「年を取る」が正式な書き方とのこと。
という情報があった。私自身は一貫して「歳を取る」を使っている。
 もう1つの「年齢」と「年令」については、上記の「歳」と「年」を含めて、文化庁・第5期国語審議会・語形の「ゆれ」の問題に以下のような資料があった【昭和36.3.17,3.22】。
「何歳」と「何才」,「年齢」と「年令」――年齢を数える場合に,「歳」のかわりに「才」を使い,また,「年齢」の「齢」のかわりに「令」を使うことはこれまでもかなり普通に行なわれている。「才」「令」は教育漢字,「歳」「齢」はそうでないことなども考え合わせると,今後はこのような場合,「才」「令」の使用がいっそう一般的傾向になるであろう。これを一概にとがむべきではないと考えられる。

 上掲の報告の中では、「率」と「卒」についても、
「率直」と「卒直」――「率」を「利率」「円周率」など「リツ」と使う場合には問題はない。ところが,「ソツ」と使う場合,「率直」「率先」などの「率」に「卒」を使うことがこれまでも行なわれている。これは,「率」の字画が複雑なので,音通によって簡単な「卒」でまにあわせるのであろう。
という記述があり、一般論として「字画が複雑な感じは音通により画数の少ない漢字に代用される」傾向があると指摘されている。

 しかしこれは1961年当時の議論であり、手書きではなくワープロやスマホでの文字入力が主流になった現在では、画数が多いか少ないかではなく、むしろ、文字を見た時に区別がつきやすいかどうかが重要となっている。
 あくまで私の個人的意見だが、日本語というのは同音異義語を漢字で区別することを必須とする言語であり、また同音異義語が多いということは単なる駄洒落や懸詞を楽しむばかりでなく、豊かな発想の原動力になっているように思う。そして今の時代、画数が多い文字を使用することは文字入力上では全く問題にならない。むしろ画数が少ない漢字のほうが他の漢字や平仮名・片仮名と見誤りやすくなっている。なので、字画が複雑な漢字が字画の少ない文字で代用されるということは日常生活ではありえなない。
 唯一の障壁は、学校教育の中で漢字の書き取りに多大な時間をかけていることだ。習字・書道として漢字を美しく書くことは有意義であるとして、漢字交じりの文章を読んだりスマホで漢字を使ったりする際には手書きは全く不要。自慢ではないが私なども、定年退職後は自分の氏名や住所以外の漢字を手書きしたことは殆ど無い。

 漢字熟語の読み教育を早期から始めるべきであること、ふりがなは不要、漢字の書き取りも不要(もしくは削減)ということは、かれこれ40年近く前から主張してきたが、学校教育の中で取り入れられてこなかったのはまことに残念である。
  • 長谷川芳典(1988).2歳児における漢字の読みの学習過程. 長崎大学医療技術短期大学部紀要, 4, 67-71.
  • 長谷川芳典(1990).3歳児における漢字熟語の読みと生成. 行動分析学研究, 4, 1-18.

 なお、幼児期において幼少期から複雑な漢字を覚えることは、おそらく右脳を鍛える上でも有用と思われる。私の主張は、

●書き取りにこだわっていると複雑な漢字熟語を覚える時期が先延ばしされてしまう。それよりも小さい頃から「読み」を優先してできるだけ多くの漢字を学んだほうが良い。

という点にあるが、書き取りに必要な運動能力を高めること自体を後回しにせよと言っているわけではない。読み学習と書き取りをセットにすると読み学習の進行にブレーキがかかってしまうので、その妨げになるようであれば書き取りは後回しにしたほうが良い、極言すれば、スマホで入力できるならば手書きができなくてもかまわないと論じているだけである。

 手書き字の練習自体もおそらく右脳を鍛える上でも有意義かと思う。とりわけ高齢者の認知症予防という目的には役立ちそうだ。これは日本語や中国語などの漢字文化圏のみで導入可能な特権であるとも言える。

追記]飯間さんのX(旧ツイッター)に補足の説明があった。こちら参照。その関連ポストに、
代用漢字の例として「闘→斗」が紹介されました。〈現在はこのような代用はしない〉とナレーションにありましたが、厳密には「OK牧場の決斗」「網走番外地・吹雪の斗争」などの映画タイトルもあります。もっとも、これもすでに「やや昔」になったと言えるかもしれません。
とあった。このことで思い出したが、私が高校・大学の頃はまだ学生運動が活発であり、キャンパス内の立看で『斗』の字をよく見かけた。例えば『全学共闘会議』は『全学共斗会◆』(◆は『議』の簡体字)など。全共闘系の立看ではなぜか簡体字ばかりが使われていた。

 次回に続く。