【連載】最近視聴したYouTube動画(7)岡田斗司夫さんの動画をもとに宗教について考察する(5)「輪廻転生」
昨日に続いて、最近視聴したYouTube動画の感想・考察。引き続き、岡田斗司夫さんの動画をネタに宗教についての考察を進める。
本日は、昨日からのつながりで「輪廻転生」について考察する。もっとも、岡田さんはこれに関連する話題を各所で取り上げておられ、到底カバーすることができない。ここではあくまで私が興味をいだいた部分だけについて感想を述べさせていただく。
今回引用させていただくのは以下の動画:
●岡田斗司夫が神の存在を信じない理由がこちらです「この世の宗教とは全て”アテにならない攻略情報”なんですよ」【岡田斗司夫 / 切り抜き / サイコパスおじさん】
この動画の最初の部分では、輪廻についてのハナさん(女性40歳)の質問が紹介されていた。ハナさんの論点は以下の通り【要約・改変あり】。
- もし神がおり、輪廻があるとすれば、それを信じてより良く生きた時、それは来世に引き継がれますし、それを信じずに自暴自棄的に生きた時、来世はそれを信じた時よりは良いものにならない。
- もし神がおらず輪廻が無いとすれば、それを信じて良く生きるにしろ、それを信じずに自己中心的に生きるにしろ、来世は無いのでその場合はどちらでも良いのでしょう。
- つまり、違いが生じるのは、神や輪廻があった場合の生き方。合理的に見れば、信じてより良く生きたほうが良い結果が得られるのではないか。
この質問に対する岡田さんの回答は以下のようなものであった【要約・改変あり】。なお岡田さんは「輪廻転生」を「りんねてんしょう」ではなく「りんねてんせい」と発音しておられた。
- ハナさんは「神がいて輪廻がある」と「神がいなくて輪廻が無い」というように場合分けをしているが、正しくは、「神がいるかいないか」の2通りと「輪廻があるかないか」の2通りで、少なくとも4通りの場合分けをする必要がある。岡田さんの分類は以下の通り。
- 神が存在し、輪廻転生も存在する → カルト宗教によくある宗教観
- 神は存在するが、輪廻転生なんか存在しない → 一般的なキリスト教や大部分の宗教
- 神は存在しないが、輪廻転生は存在する → 仏教。古典的な仏教は神の存在を想定せず悟りによって輪廻転生から解放されると考えていた。
- 神も輪廻転生も存在しない → 無神論または不可知論
- 岡田さんは無神論者ではなく不可知論者。合理的な考え方をすれば、神がいるという証拠も神がいないという証拠も無いので、「そんなもん わかんねーよ」というのが不可知論。
- つまり考えてもわかんないことは考えてもしょうがないんじゃねえのっていう考え方。
- この世の大体の宗教は、全ての宗教と言ってもいいが、自分が見たことも会ったこともない誰かさんが、百年前とか千年前とか何十年前とかに言い出した、証明されてないようなこの世界の攻略情報。この攻略情報はどの宗教も証明していない。なので岡田さんは「当てにならない攻略情報」って呼んでいる。
- 100歩譲って神様がいて岡田さんご自身にじかに伝えてきたんだったら信じてもいい。既存の宗教は全く信じる気はないが、妄想でもいいから岡田さんの夢枕に立って、最悪でも神様のほうから手間をかけて岡田さんの前に現れてちゃんとじかに説明してくれたら聞いてあげるが、それ以外の方法であまり信じるつもりはない。
- 本当に世の中に真理があって神様がそれを説明できるんだったら、真理を全人類に一斉送信するぐらいのことをできるはず。全知全能とまでは言わないが、神様なんだからそれぐらいできるでしょう。
- 真理を全人類に送信するという手間を惜しむような神様とか、それができない能力の低い神様の言うことなんかあてにできない。
- よく言われる「信じてない人より信じている人のほうが幸せになれる」とか「先に入信した人のほうが幸せになれる」とか「教祖というのはありがたい存在だ」っていうのは典型的なマルチ商法なのであまり魅力は感じない。
- 岡田さんは不可知論であって無神論ではない。無神論は肌に合わない。幽霊やオカルトはあまり信じていないが、この世の中には怖いものとか自分が分からないものがあるんじゃないかという怖れはあるので、
不可知論と言っている。
- 【以下は別の話題になったので今回は省略】
ここからは私の感想・考察を述べさせていただくが、まずハナさんの神や輪廻を信じててより良い生き方をしたほうが良い結果が得られるというのはある面ではその通りかと思う。全員が神や輪廻を信じて善行を積み慎ましく生きる集団と、神や輪廻を信じず利己的に振る舞うばかりの集団があったとすれば、前者の集団のほうがより幸せに生きることができるのではないかと思う。これは別段、神や輪廻の存在が証明されていても証明されていなくても構わない。全員が信じていればそれだけで実現できるかもしれない。
もっとも、もっと根本的に考えた時、人間社会において絶対的な善悪があるかどうかは疑わしいところがある。例えば、
- 人を殺すのは悪いことだと言われるが、外国から侵略された時に自分の国を守るために相手国の兵士たちをたくさん殺すことは自国側からは良い行為として讃えられる【相手国の兵士の家族にとっては悪い行為】
- 上記に限らず、自国優先主義はその国の人たちにとっては良いことだが、他国にとっては悪いこと。
- 貧しい人たちに100万円を寄付することと、100万円を使って海外旅行をすることでは、前者のほうが利他的で後者は利己的と受け止められるかもしれない。しかし、皆が寄付ばかりして海外に出かけなくなれば観光産業で生計を立てていた人は廃業してしまう。資本主義社会では、個々の消費には絶対的な善悪はない【←犯罪を助長する消費は別】。お金がいかにまわっていくのかで善にも悪にもなる。
さらに、1つの社会の中に限って善悪があったとしても、それらは別段宗教に頼らなくてもコントロールができないのかという疑問がある。上記で「神や輪廻を信じず利己的に振る舞うばかりの集団があったとすれば」と書いたが、神や輪廻を信じない人たちばかりが集まったとしても利己的な争いばかりを繰り返すことには必ずしもならない。例えば、海賊という集団は他の集団と戦ったり物を奪ったりするが、海賊たちが暮らす村の中ではいたって平和であろう。極端な例として、殺人犯ばかり100人を無人島に送り込んで好き勝手に生活させたとする。最初のうちは奪い合いや権力争いが起きるだろうが、そのうち、殺し合いよりも協力して生活した方がお得であることに気づき、最終的には秩序ある統制のとれた村ができるはずである。いずれも、宗教なしに実現可能。ま、じっさいのところ、群れで暮らす動物たちは、宗教を信じなくてもちゃんと統制がとれていて食料確保、縄張り維持、近親相姦回避を備えた集団を構成している。
なお、上記とは全く正反対の発想になるが、皆が宗教を信じれば幸せな社会が実現できるのかという疑問もある。人類誕生以来いまに至るまで人々は戦争を繰り返してきたが、宗教にはそれを止める力は無かった。逆に宗教的な対立を背景にした戦争は後を絶たない。
元の話に戻るが、いずれにせよ、集団や国家間のレベルから見た時には、神や輪廻を信じることのメリットは全く無いように思う。残るは、個人の生き方ということになるかと思う。
なお前回も述べたように、肉体を構成する分子はすべて過去に存在した別の生物のリユースである【無機物は除く】という意味では、地球上の生物はみな輪廻転生を繰り返している。といっても、「自己」の同一性が保たれなければ「生まれ変わり」には意味は無い。また、言語を持たない動物に生まれ変わった場合は、もはや「自分の前世は人間であった」と考えることすらできない【動物たちは、今の世界に生きているだけ】。となると、「輪廻転生」ではなく「死後の世界」、つまり人は死んだ後も自己の同一性を保ったまま別の世界に行くと信じることのメリット、デメリットを検討したほうが妥当であるように思われる。ということで次回は「死後の世界」について考えることにしたい。
不定期ながら次回に続く。
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